牧口常三郎氏(創価学会初代会長)が戦争中、会合で行なった指導より
現人神たる天皇陛下について 靖国参拝の意義について 神札について
「吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしている。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。
吾々が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いてくださった、ありがとうございます』というお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与えくださいという祈願ではない。もし、『ああして下さい、こうして下さい』と靖国神社へ祈願する人があれば、それは恩を受けた人に金を借りに行くようなもので、こんな間違った話はない。天照太神に対し奉っても同様で、心から感謝し奉るのである。
独り天照太神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝し奉っているのである。萬世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神(あらひとがみ)であらせられる。即ち天照太神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる。今上陛下に凝集されているのである。されば吾々は神聖にして犯すべからずとある『天皇』を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には天皇に御帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。『義は君臣、情は父子』と仰せられるように、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて天皇の御位におつき遊ばされると、陛下も憲法に従ひ遊ばすのである。即ち人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが純忠だと信ずる。
天照太神の御礼(おふだ)をお祭りするとかの問題は、萬世一系の天皇を二元的に考え奉る結果であって、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である。 (大善生活実証録 47ページ)
註 日蓮大聖人の信仰において、神社に参詣することは「謗法」といって行なってはならない行為のひとつです。
しかし、当時の日本は、軍部等の強大な力によって、国民は皆、現人神である天皇陛下のもとに、国家神道政策によって縛られていました。国の政策として、靖国神社などへ団体で参詣させるなど、日本国民は、個人の信仰はよそに、強制的に国家神道へ協賛させられていたのです。
そうした軍国主義の異常な時代に、なんとか「日蓮正宗」を護ろうとされた牧口氏の、ギリギリの配慮がうかがえる指導です。
平成時代の創価学会は、「戦時中、日蓮正宗は国家に迎合して戦争に荷担したが、創価学会は徹頭徹尾、反戦の精神を貫き、謗法には断固として立ち向かった」などと喧伝しています。それらがまったくのデタラメであることは、この牧口氏の発言から明らかです。