謗法の恐ろしさと、謗法破折の大事     第68世日如上人ご指南

                              信行要文③より

 

 

 謗法は私達が最も恐れなければならないことでありまして、この謗法に対しましては、自他共に毅然として立ち向かっていかなければなりません。今の御書にありますように、謗法に親近する、あるいは謗法の人に親近して、自然のうちにその謗法に染まってしまうことが、実際にあるわけであります。ですから、謗法の人に対しては、やはり私達は折伏をしていかなければならないのであります。

 世間体を気にして、ただ上辺だけで付き合い、肝心な信心のことについて何も言わない、勧めない、下種もしない。これでは結局、いつの間にか、相手の謗法の毒気に自分自身が当てられてしまうのです。そのことを、ただいまの御書では 「謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依って餓鬼道に堕す」とおっしゃっているのであります。

 ですから、私達は自他共に心を強くして、そういった人達に対しては厳しく折伏をしていかなければならないわけであります。厳しくといっても、なにもけんか腰にやれと言っているのではありませんよ。もちろん我々は、慈悲の心を持って法を説いていくことが大切であります。やはり折伏は最大の慈悲行でありますから、この慈悲を忘れてはいけません。あくまで慈悲の心を持って破折をしていくことが大事であります。

 元々、謗法というのは放っておくと、だんだん増長してしまい、ますます正法を妨げるようになってくるのです。邪宗の姿、特に創価学会の姿を見たら、すぐに判るでしょう。ああいう姿にどんどん、なってくるわけです。ですから、私達は、このところをよく気をつけていかなければなりません。

 「謗法の酔い」という言葉がありますね。つまり、謗法を犯していくと、ちょうど酒に酔って本心を失ってしまうように、いつの間にか謗法の毒気に当てられてしまって、気づいた時にはもう遅いというようなことが、実際にあるわけです。ですから、謗法こそ、その本心を失わせ、不幸に陥れるところの根源でありますから、我々はその謗法に対しましては、やはり厳しく対処していかなければなりません。

 また『戒体即身成仏義』には、「謗と云ふは但口を以て誹り、心を以て謗るのみ謗には非ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり」(同一〇㌻)と仰せであります。つまり、口をもって大聖人様の仏法を謗る、あるいは心をもって謗るだけではなく、大聖人様の仏法を信じない、あるいは行じない者も、謗法なんですよとおっしゃっております。このことを、私達は自他共に心していかなければならないと思います。

 ですから、謗法というのは非常に深いものであり、また様々な罪障の上から出てくるわけでありますから、そういった方々を見たら、私達は本当に心を込めて折伏をしていかなければなりません。この謗法深重の者を救っていくことが、今日、私達の大事な役目なのであります。

 やはり、他人の謗法を破折するということは、同時に自分自身の謗法をも破折することになりますから、必ず一生成仏につながっていくわけであります。

 また、この折伏は、まさに慈悲行でありますとともに、御本尊に対する最大の報恩行でもありますから、しっかりと折伏を行じていくことを忘れてはならないのであります。

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

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