証前・起後の宝塔
(大白法より一部抜粋)
宝塔とは、法華経見宝塔品第十一において、大地より涌出して虚空に止まった大宝塔を指します。虚空会の名の由来もここにあります。この宝塔には、証前・起後という二つの意義があります。
まず証前とは、釈尊が法華経迹門に説かれた十界互具・二乗作仏の法門を証明することです。二乗作仏とは爾前経における二乗永不成仏の説とは正反対の教えであることから、宝塔中の多宝如来が、聴聞の衆に対し、「皆是真実」との大音声をもって釈尊の説法が真実であることを証明されたことをいいます。すなわち、宝塔涌現以前の説法を証明されたのでこれを証前の宝塔といいます。
次に、釈尊が出世の本懐たる法華経を説かれた目的は二つあります。
その一つは、寿量品の説法により、仏の久遠における成道と、舎利弗等の在世の衆生との久遠以来の因縁を説き明かして、所化の衆生を得脱せしめることです。他の一つは、末法のために、上行等の地涌の菩薩に要法を付嘱されることです。
宝塔の涌現とは、虚空会における、これらの本門の重大な教説を説き起こす遠序に当たる意義を有するところから、後を起こすとの意味で起後の宝塔と呼ばれるのです。
また、閉塔とは、閉じた宝塔の中から、多宝如来が二乗作仏を証明したことで、その意義は迹門に属し、開塔とは、塔の扉が開かれた後、二仏並座して寿量品が説かれる本門の意義を意味しています。
釈尊結縁の人々はこの寿量品の説法を聞き、その心田に下された久遠元初の仏種を覚知し、即身成仏の本懐を遂げることができたのです。これに対し、今末法においては、大聖人様が御建立あそばされた宝塔たる御本尊こそが、久遠元初の人法一箇の法体、生命本源の仏種となります。故に、この御本尊を信受するとき、私たち一切衆生の生命に内在する仏性が開かれ、凡夫即極の妙法の当体と顕われることを本抄に示されたのです。
「南無妙法蓮華経ととなふるものは、我が身宝塔にして、我が身又多宝如来なり」
「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房」
等の仰せは、「南無妙法蓮華経」こそが歴劫修行を必要としない、真実の即身成仏の大法であり、この大法を信受するところに、当体蓮華を証得する大功徳があることを示されたものといえましょう。あらゆる宗教、あらゆる仏教の中において、ただ日蓮大聖人様御建立の三大秘法にのみ、真実の即身成仏の大益があることを確信することが大切です。
※大白法「教学用語解説」の文に、編者が一部手を加えたものです。