日蓮大聖人の信仰で、親子ともに成長しよう
法統相続の大切さ
世間では毎日のように、家庭内で起きた痛ましい事件の報道がなされています。邪(よこしま)な宗教が蔓延する末法の世の中には、家庭を大切にできない人が増えているようです。日蓮大聖人が
「父母となり其の子となるも必ず宿習(しゅくじゅう)なり」(平成新編御書 1392)
と仰せのように、私たちは偶然(ぐうぜん)に親子・家族となるのではなく、過去世からの深い因縁によって親子となり、家族となるのです。この家族同士が、お互いの深い因縁を感じて、思いやり、支え合うことが出来なければ、幸せな生活を送ることはできません。
もしも子供が御本尊に対する絶対の信仰心を持つ人に成長できたならば、家族同士の深い因縁を忘れず、必ずや四恩(父母の恩・一切衆生の恩・国主の恩・三宝の恩)に対して報恩を尽くす孝養の人となることでしょう。よって、子供と一緒に信心修行に取り組み、法統(ほっとう)相続に努めることが、子供に親子・家族の深いつながりを理解させ、広宣流布に寄与する人材に育てる最善の方法なのです。
法統相続は子供への慈悲
ときおり、「日蓮正宗の信心をするかどうかは、子供が成人したら自分で判断させる」「子供の嫁ぎ先には、別の宗教があるから、強いて信心をさせようとは思わない」などと言う人がいますが、このような考えは誤りです。
日蓮大聖人が説き顕わされた南無妙法蓮華経は、あらゆる功徳の源(みなもと)であり、どんな財宝にも代えることのできない無上(むじょう)の財(たから)です。大聖人が『崇峻天皇御書』に
「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の御分を御覧あらんよりは、心の財をつませ給ふべし」(平成新編御書 1173)
と仰せのように、子供が幸福な人生を歩むためには、資産(蔵の財)を残すよりも、日蓮正宗の信心(心の財)を受け継がせることのほうが重要なのです。したがって、どんな理由にせよ法統相続をしないのは、この最高の財を子供に継がせない、子供が誤った信仰によって不幸になっても構わない、ということと同じであり、これほど無慈悲なことはありません。
日蓮正宗総本山第九世日有(にちう)上人は『化儀抄』に
「謗法の妻子眷属をば連連教化すべし(中略)折伏せざる時は同罪たる条分明(ふんみょう)なり」(日蓮正宗聖典 982)
「二親(ふたおや)は法華宗なれども、子は法華宗に成るべからずと云う者あり、其の時は子に中を違うなり」(日蓮正宗聖典 976)
と仰せられ、未入信の家族を折伏しなければ与同罪となること、また子供が信心を受け継がないならば親子の縁を切りなさいと。ライオンの親は、子ライオンを自立させるために、子供たちを崖から下に落とすようなことも厭わないといいます。
まして私たちが、真に子供の未来を案ずるならば、まず親自身が、子供に対する甘えの心を排除し、心を鬼にしてでも、厳しく信心の躾を考えていくことが大切である、と大変に厳しく誡められているのです。
自分の身近に一人でも不幸な人がいると、悲しい気持ちになります。まして大切な子供が、誤った信仰によって不幸な人生を歩むことを望む人はいないでしょう。子供達の幸せを願うならば、なんとしても、正しい信心を受け継がせるように務めていかねばならないのです。
法統相続の功徳
法統相続は、一家の幸せのため、子孫の繁栄のためであると同時に、自らの成仏のためにも大きな意味を持っています。
大聖人が『経王御前御書』に
「経王御前を儲けさせ給ひて候へば、現世には跡をつぐべき孝子なり。後生には又導かれて仏にならせ給ふべし」(平成新編御書 635)
と仰せのように、信心をしっかりと受け継いだ子供は、親の追善供養を行って成仏に導いてくれるのです。法統相続がなされず、日蓮正宗の信仰が途絶えてしまった家では、子孫に正しい回向を望むことはできません。私たちは『妙法尼御前御返事』の
「されば先づ、臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」(平成新編御書 1482)
との御金言を拝し、また日蓮正宗総本山第66世日達上人の
「我々が一生懸命に詩人しておって法統相続させ、子供たちも共にこの信心をさせたならば、我々は死ねば勿論、常寂光の世界であるが、そのお骨は必ず子供が、この御本尊様のもとへ届けてくれるのである。だから、どうしても、信心を子供に継げさせて、家もだんだんと法統相続させていかなければならない」(大日蓮 昭和41年12月号16)
との御指南を拝して、自らの人生を憂(うれ)いなく歩むためにも、常に日蓮正宗の信心の大切さを子供に教えていきましょう。
幼い時から一緒に信心を
子供は、幼児期には常に親のそばにあって、親の姿から様々なことを学びます。諺にも「三つ子の魂(たましい)百まで」と言われるように、幼い時に身につけた習慣は、生涯変わることはありません。
これは日蓮正宗の信心においても同様であり、法統相続するためには、何よりも、まず親が強い信心をもって模範(もはん)を示すことが大切です。子供は、そこからおのずと正しい信心のあり方を学び、日々の修行を習慣として身につけることができるのです。
具体的には、子供が幼い時は親の膝の上に乗せて勤行をし、成長するに従って横に座らせるようにすることもよいでしょう。子供が言葉を話せるようになったら一緒に勤行を行い、少しづつ勤行の仕方を覚えさせていきましょう。「うちの子はまだ小さいから、もう少し大きくなってからにしよう」などと思っていると、いつの間にか時期を逃してしまうものです。早い時期から毎日、勤行・唱題を共にしていくことによって、子供はその大切作と、御本尊の偉大な功徳を感じていくのです。
また、お供えものや樒(しきみ)の水の交換など、御本尊のお給仕を一緒にするよう心がけ、御本尊を敬う心を教えましょう。寺院参詣や総本山への登山にも子供を連れていき、家族そろって信心を根本とした生活を送ることが大事です。
子供が成長してから信心を始めた家庭でも、できるだけ朝夕の勤行を家族そろって行い、勤行後に元気よく挨拶を交わして、大聖人の御書をみんなで拝読するようにしたいものです。
日蓮正宗総本山第68世日如上人は
「何よりも、この御本尊をしっかりと信じていく。朝夕の勤行を一緒にして、一緒に親子が題目を唱え、そしてお寺に通い、少年部の活動等に参加させて、しっかりやっていくと、自然にいわゆる菩提の心、仏道を求める心、幸せを求める心、悟りを求める心が生まれてくるのです」(功徳要文11)
と御指南されているように、子供と一緒に信心修行を実践していくことこそ、法統相続の要諦(ようてい)であると心得て、家族そろって信心に励んでいきましょう。
一家和楽の信心を
法統相続のためには、家族で信心の話を積極的にすることも大切です。折に触れて、御本尊の功徳や信心即生活ということについて、また「御法主上人の御指南や御住職の御指導を受けて、今後、どのようにしていくべきか」「未入信の親戚の方を、どうやって折伏していくか」ということなど、信心の大切な事柄について、家族で話し合ってみましょう。家族同士がお互いの考えを確認していくことによって、次第に信心に対する考えや認識が一つになり、協力して修行に取り組むことができる一家和楽の信心と、子供への法統相続がかなっていくのです。
(当該文章は、「信心の原点本 大日蓮出版」56ページ~を参照に、一部筆者が読みやすいように手を加えたものです)