法華経にでてくる説話「良医病子の譬え」
文上と文底の解釈
法華経『如来寿量品』に、『良医病子の譬え』が説かれています。
経本でいいますと、寿量品の長行がはじまって14頁目くらいの「譬如良医」以降です。今、現代語で申しますと以下のとおりです。
昔、大変に聡明で医薬に精通した医師がいました。この医師には子供が多く、十人、二十人、百人もの子供がいました。
ある時この医師が外国へ出掛けている間、留守を守っていた子供たちがあやまって毒薬を飲んでしまいました。子供たちは毒のせいで、大地にころげまわって苦しんでおりました。
そんなとき、父親の医師が帰国し自宅に戻ってきました。遠くから家に向かって帰ってくる父の姿を見て、子供たちは大変に喜び、父に向かって、こう叫びました。
「私たちは愚かなことに、誤って毒薬を飲んでしまいました。どうか私たちに治療を施し、命をたすけてください」
と。子供たちの苦しむ姿を目の当たりにした父親の医師は大変に驚き、様々な薬草を調合して、毒気を抜き去る良い薬を作りました。そして
「これは、どんな毒や病にも良く効く最高の薬だから、すぐに飲みなさい」
と言いました。毒薬があまり体に廻っていなかった子供は、父親の言うことをよく聞いて、ただちにその薬を服用し、苦しみから免れることができました。
毒薬をたくさん飲んで、その毒気が体全体に深くまわってしまっていた(毒気深入の)子供たちは、帰宅した父親の姿を見て大変に喜び、ただちに私たちを救ってほしいと願いました。
ところが実際、父親が薬を調合して与えると、あまりに毒薬がまわって心までもが動転(失本心故)し、父親をも疑って「これも毒薬なのではないか」と勝手に解釈し、その薬を飲もうとはしませんでした。
素直に言うことを聞かない子供であっても、なんとか救ってやりたいと願った父親の医師は、ある方便を設けることを思いつきました。父は
「この良い薬(是好良薬)を、今ここに置いておく(今留在此)から、お前たちは必ず、この薬を飲んで、その病を治しなさい」
と言い置き、遠い外国へと旅立ってしまったのです。そして旅先から子供たちの元へ遣いをやり、
「あなた方のお父上は外国において、亡くなりました」
と伝言させたのです。毒気が深く入り込んで、本心を失い父親の言うことを素直に聞かなかった子供たちも、さすが「父の死」という大ニュースを聞いて我を取り戻しました。そして、心から後悔し
「お父さまは、私たちを哀れみ、救ってくださろうとして、せっかく良い薬を調合してくださったのに、私たちはその慈悲の心を受け入れず、背いてしまった。今お父さまは私たちを捨てて他国へ旅立ち、そこで亡くなってしまった。私たちは、もう誰からも助けてもらえない孤独な子供になってしまった」
と言って、大変に悲しみました。
そして父親の
「この良い薬を、今ここに置いておくから、お前たちは必ず、この薬を飲んで、その病を治しなさい」
との最後の言葉を思い出して薬を飲み、毒薬の苦しみを取り除くことができました。
遠い外国で身を潜めていた父親の医師は、子供たちが正気をとりもどし、薬を飲んで苦悩から逃れることができたことを聞くと、再び国に戻って子供たちと再会しました。驚く子供たちに父親は
「実はお前たちを救うために、一時的な方便をつかって、わざと私が死んだことにしたのだ」
と真実を明かし、共々に喜んだというのが、「良医病子の譬え」といわれるお話の概略です。このお話を毎日、私たちは勤行のときに読んでいるのです。
さて、以上は、インドに出現したお釈迦様が語られたお話であり、ここで釈尊は、仏が衆生を導いてきた過去の因縁について説いています。
また、日蓮大聖人は寿量品という御経に出てくる言葉の奥底に、秘密裏に隠されている南無妙法蓮華経の教えこそが、すべての仏法の源であると教えられていますが、この寿量品のお話を、御本仏・日蓮大聖人の身に当てはめて考えてみますと、次のようになります。
まず父親の良医とは、久遠元初の本仏・日蓮大聖人の御事です。そして毒薬を飲み、さまざまな苦悩に悩む子供たちとは、我々のような凡夫を顕わしています。我々はとかく、日蓮大聖人という仏の教えを素直に聞けない、あるいはその教えとは関係のない教えを信じ、人生に迷う姿を「毒薬を飲んでしまって苦しんでいる姿」に譬えています。
そして、その苦しみを取り除くため、仏である日蓮大聖人が調合してくだった最高の薬こそ、南無妙法蓮華経の御本尊であると示されるのです。
具体的には以下のとおりです。
遠い遠い昔、久遠元初という仏法本源の位に、南無妙法蓮華経という身心の重病を克服するための最高の教え(良薬)を、日蓮大聖人という仏が悟られました。そしてその妙法を、ただちに人々に教えられたのです。その仏の言葉を素直に信じて南無妙法蓮華経を服用した人々、つまり素直に唱題を行なった人々は、それぞれ、早い時期、遅い時期の違いはあっても、やがて南無妙法蓮華経の功徳によって苦悩を克服することができました。これが順縁の衆生です。
ところが、なかには、せっかく一度は妙法を信じたのに、途中で
○「面倒くさい」といって修行を怠った人
○素直に仏や、他の人の言葉を聞くことができなくなり、仏の心から離れてしまった人
○妙法を信ずる一方で、謗法をも同時に執着したため、謗法の害毒が深く身に入り、歪んだ題目となってしまった人。
こういった残念な人々は、日蓮大聖人の仏法に一度はめぐりあったのに、自身の心が曲がっていることを知らず妙法の道から外れてしまい、ふたたび迷い苦しみの世界~六道輪廻(ろくどうりんね)の境界へと沈んでいってしまいました。そしてその後、数千年、数万年という気の遠くなる永遠の時の流れのなかで、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道を、グルグルグルグルと流転の人生を、かぞえきれないほど繰り返していったのです。
日蓮大聖人は、久遠元初以来の三世常住の御本仏ですから、そのお命・功徳が消えて無くなるということはありませんが、そういった素直に信ずることができないような人々をも救うために、方便として
「日蓮大聖人という仏は、亡くなられてしまい、二度と会えない」
ということを遣いの者に言わせるのです。このお遣いのなかの一人が、あのインドに出現した釈尊という垂迹仏(すいしゃくぶつ)です。
ご本仏よりの遣いとして人々に接した釈尊は、いろいろな方便の教えを用いて、毒気が深く入りこんでしまった衆生に対し、その固く閉ざされた心を癒やしながら、少しづつ少しづつ段階を経て、深い教えへと導いていきました。そして釈尊は一生の締めくくりとして最後に、法華経を人々に説き聞かせ、
「実は、あなた達は、私と出会うずっと以前、遠い遠い久遠(くおん)という昔に、南無妙法蓮華経という一番根っこにある大良薬を、すでに日蓮大聖人という御本仏から授かっているんだ」
ということを暗に示し、当時の人々に、南無妙法蓮華経という成仏の仏種を思い出させました。それが釈尊がインドに出現した大切な役目だったのです。
そうして、釈尊という「お遣いの垂迹仏」の言葉により、「本心」と「我」を取り戻した子供たちは、ただちに薬を飲んで病気を直すことができました。これが、釈尊の化導を受けた人々の成仏の姿です。
そうして、父親の医師が子供たちの元へ帰って来たように、久遠元初の御本仏である日蓮大聖人がふたたび末法時代に出現し、根本の大良薬、すなわち成仏のための根本の南無妙法蓮華経を、誰の目にもはっきりと見える形(御本尊)で示されました。それが寿量品に説かれている良医病子の譬えというお話の、「文底」に沈められている「真実のお話の正体」です。
これが秘密に説かれているから、日蓮大聖人は
「法華経はどれもすばらしい御経であるが、中でも大事なのは寿量品である」
と仰せになっているのです。
末法の今、私たちは、目の前に成仏のための一番の薬(本門戒壇の大御本尊)があるわけですから、今更、他の御経に目を移すことなく、ただ素直な心をもってお題目を唱えていくことが大切です。
そして大聖人様は、一切衆生の甘えを断絶するため、再び七百年前にその身を隠されました。とは言っても、久遠元初の御本仏・日蓮大聖人の御法魂は現在でも、本門戒壇の大御本尊に具わり、常に南無妙法蓮華経の絶大なる功徳をもって、世の中のお題目を唱える人々を、時に厳しく、時に優しく、導いてくださるのです。
さらに、その教えを未来に正しく伝えていくため、医師が、子供たちを救うために遣いを遣わした如く、日蓮大聖人は代理としての日興上人以下、御歴代上人をお遣わしになり、総本山の御法主上人猊下が、「遣使還告」のお立場として、妙法の正しい教えを説法されているのです。
ですから私たちは、日蓮大聖人に生まれ合わせなくとも、常に大御本尊のもとに信心し、大聖人のお遣いとしての御歴代上人猊下の御指南を拝することが、すなわち大聖人より直接、化導を受けるという意義を備えるのです。
※「久遠元初」という日蓮大聖人の仏法の奥義は本来、「境智行位の四妙」を基軸に論ずべきものですが、この文章ではわかりやすく「時」に約し、「仏法本源の位」と表現して説明しています。