統一教会(世界基督教統一神霊協会)について 現在、日本では「世界平和統一家庭連合」と改称しています。
※以下の文章は、『諸宗破折ガイド』(同書346ページ)の当該文章の一部に、編集者がわかりやすいよう添削を加えたものです)
統一教会の誕生 歴史
教祖である文鮮明(本名は文龍明)は、1920年1月6日、朝鮮半島の平安北道(現在の北朝鮮)の農家に生まれました。両親は当時キリスト教徒で、文鮮明は16歳のとき、イエスキリストから「神の、み旨(人類救済の摂理)は、まだ完成していないから、残された、み旨を、お前が完成させなければならない」との啓示を受けたと思い込み、それ以後の生涯を神に捧げることを決意したといいます。
その後、文鮮明は、キリスト教の聖書をもととして「統一原理」の全容をみずから解明したと主張し、1945年以降、ソウルと平壌(ぴょんやん)で聖書の講義をしながら多くの信者を作る活動に専念しました。その後、その異端性などを理由に多くの批判を浴びるようになります。一時は懲役刑などを受けましたが、朝鮮戦争勃発後、釜山(ぷさん)を拠点として伝道を再開します。
1952年、文鮮明は、自身の教えの骨子をまとめた『原理原本』を作成し、1954年にはソウルで「世界基督教統一神霊協会」を設立しました。
1957年には『原理解説』を著し、1975年になると、世界各地への布教を開始。「地上に建設される天国は、理想的な家庭を築くことからはじまる」として、あの悪名高い国際合同結婚式を主催するようになりました。
日本には1958(昭和33)年6月、西川勝(本名 崔 翔翼・チェサンイク)が密入国して布教を開始しました。翌年、日本に「日本統一教会」を設立し、1964(昭和39)年7月には「世界基督教統一神霊協会」として東京都に宗教法人としての認証を受け、久保木修己が会長に就任しました。久保木はかつて、立正佼成会の幹部を務めていましたが、その後、心変わりして昭和37年に統一教会に入信したといいます。
教えの概要
教団の名前から、「キリスト教」の一派のような印象を受けますが、キリスト教とはまったく関係がないものとされています。その理由は、教祖・文鮮明を、イエスの再誕であり救世主と崇める特殊性にあり、このことから新興宗教とされているのです。
『原理講論』という書籍は、文鮮明が聖書を解釈したものを、弟子たちがまとめたものです。その趣旨を簡略にまとめると次のようになります。
1.既存のキリスト教では、罪悪の世界となった現代社会を救うことはできない
2.聖書は、真理それ自体ではなく、時がたち、世界の状況が変わった今の時代には通用しない。新しい真理の教えが現われる時代である。
3.人生と宇宙の根本問題を解決するために、神が文鮮明を地上に使わした。
4.聖書には、はっきりと「イエスは韓国に再臨する」と預言している。
5.人間の原罪は、エバが、サタンの化身である蛇と交わったことにより、サタンの血が人類に流れるようになったことに起因する。
6.イエスの十字架刑では、原罪を贖罪することはできなかった(イエスは人類を救えなかった)から、あらためて救世主が地上に再臨する必要がある
7.人間の原罪を消すには、原罪を犯した時と逆の経路を辿らなければならない。
8.神は、善の世界を作ることを目的とした。神を中心とした家族的世界を「地上天国」といい、教祖である文鮮明夫妻が、その原型である。
9.全人類を神の愛により統一に導く、そのためにすべての人類は、一つの言葉を話すようになる。その祖国語は「韓国語」である。
以上のような教えを基とし、教団によって選別された信者たちがカップルを組まれ、異様な「合同結婚式」を挙げさせられるようになりました。そして、それぞれが強制的に家庭を形成させられ、性的儀礼を重視する独特な教義を教えこまれるようになります。さらには、多く批判を受けた「霊感商法」も相変わらず健在で、高額な物品を信者に売買させているのが現状です。
統一教会の教えに疑問を持つ点
◇統一教会では、聖書に「イエスは、韓国に再臨する」と説かれているとして、教祖・文鮮明を「再臨のメシア(救世主)」と位置づけています。そして文鮮明夫妻を、神の願いを最初に完成した「神の息子と娘」であるとし、彼等こそ人類にとっての真の父母であると讃えているのです。しかし、こうしたことは、新約聖書や旧約聖書の、どこにも書かれておらず、「文鮮明の妄想に基づく自賛」と批判されても仕方ないのではありませんか?。
◇統一教会では、人間の原罪は、エバがサタンの化身である蛇と交わった事により生まれ、そこから遺伝されてきたものと教えています。しかし、いまどき、ヘビの血が入っているから、人間は本来、穢れているなどと考えるのはどうでしょうか? 聖書にすら「ヘビの祖先から罪が遺伝される」などとは書かれていないのに、です。
◇統一教会では、「聖書は真理そのものではなく、今や新しい真理が必要となった」として聖書よりも文鮮明の言葉を重んじています。しかし、一方では、文鮮明を「メシア(救世主)」と位置づけるため、聖書を利用しているのですから、自語相違ではありませんか?
◇イエスの死はサタンとの戦いに負けた結果であるといい、文鮮明自身も、死んだら神の意図を成就できないと統一教会では言います。既に文鮮明は死去しており、生前中に全世界を統一できなかった文鮮明は、イエスと同じようにサタンとの戦いで負けた、真のメシア(救世主)ではなかった、と理解してよろしいのでしょうか?
◇統一教会では、宗教活動の一環として、信者に物品を販売する霊感商法を行なっています。なにか物を買えば救われるなどということは、宗教本来の姿ではないのではありませんか?