立正安国とは

                     大白法(令和3年8月16日号掲載より)

 

 「立正(りっしょう)安国(あんこく)」は「正を立てて国を安んずる」と訓(くん)じ、正法を立てて国家を安穏(あんのん)にするという意味です。

 これは宗祖日蓮大聖人が、文応元(1260)年7月16日に、当時日本の最高権力者であった前執権の北条時頼(ときより)に提出された『立正安国論』に説かれた法義です。

 

『立正安国論』執筆の契機

 『立正安国論』提出当時、世上は悲惨(ひさん)な状況を呈(てい)し、人々は苦しみに喘(あえ)いでいました。

 正嘉元(1257)年8月23日、人々がそれまでに経験したことのないような大地震が発生しました。鎌倉幕府が編纂(へんさん)した歴史書の『吾妻鏡(あずまかがみ)』によれば、地面が裂(さ)け、山は崩(くず)れ、ほとんどの家屋は倒壊し、火災が発生し青い炎が上がったといいます。

 その後も立て続けに台風、大飢饉(ききん)、大疫病(えきびょう)など災難が人々を見舞い、半数以上の人が死に、巷(ちまた)には死体が積み上げられたり川にうち捨てられ、ひもじさから人肉を食らう者もいました。

 何とか災厄(さいやく)を収(おさ)めようと、為政者(いせいしゃ)は闇雲に改元を繰り返し、諸宗の僧侶に祈祷(きとう)を命じたりと肝(きも)を砕(くだ)きます。しかし、全く効果はなく、かえって災厄を増し、人々は為(な)す術(すべ)もなく次々と人が死ぬのを見ているだけで、せめて後生(ごしょう)は西方極楽(ごくらく)浄土に行きたいと、念仏(ねんぶつ)が大流行していったのです。

 そこに大聖人は『立正安国論』において、災難の原因は人々が邪法(じゃほう)に帰依(きえ)しているためであると文証を挙げて示し、中でもその原因は一凶(いっきょう)たる法然(ほうねん)の念仏にあると断じられました。そして一刻も早く邪法(じゃほう)を対治(たいじ)し、正法たる法華経に帰依(きえ)して安穏な国土を実現すべきであると諫暁(かんぎょう)されたのです。

 

 

災難興起の原因と安穏な国土の実現

 『立正安国論』は、為政者を客に、大聖人を主人に見立てた問答(もんどう)形式で展開されます。

 まず客は、これだけ仏教が盛んなのに、なぜこのような災厄(さいやく)に見舞われるのか、との疑問を呈(てい)します。

 それに対して主人は、仏法には自ずと正・邪があり、日本国の人々は、正法たる法華経に背き邪法に帰依しているため、諸天(しょてん)善神に見放され、魔が蔓延(はびこ)り、災難が起こるのであるとして、大集(だいしっ)経の三災と薬師(やくし)経の七難等を挙げられます。

 三災とは、穀貴(こっき)(飢饉による食料難)・兵革(ひょうかく)(戦乱)・疫病(えきびょう)の三つ、七難とは人衆(にんしゅう)疾疫(しつえき)難(疫病)・他国侵逼(しんぴつ)難(他国からの侵略)・自界叛逆難(内乱)・星宿変怪(へんげ)難(星の異変)・日月薄蝕難(日食や月食)・非時風雨難(大雨や台風などの異常気象)・過時不雨難(干ばつなどの異常気象)の七つです。

 『立正安国論』提出当時の日本の様相は、三災七難のほとんどと合致していました。大聖人はこれを、日本に悪法が蔓延っていることの証拠とし、併せて未(いま)だ現われていない他国侵逼難と自界叛逆難も必ず起こるであろうと予言されました。

 また逆に、信仰の正邪を糾して正法たる法華経に帰依すれば、三界は仏国となり、安寧な国土が現われると説かれたのです。

 

 

預言の的中

 『立正安国論』提出後八年を経て、文永5(1268)年には蒙古(もうこ)からの牒状(ちょうじょう)が届き、文永11年と弘安4(1281)年には実際に蒙古が攻め寄せました。

 また、文永9年には二月騒動が起こり、執権・北条時宗の異母兄である北条時輔(ときすけ)と、時宗の対抗勢力である名越(なごえ)の北条時章(ときあきら)、教時(のりとき)兄弟が誅殺(ちゅうさつ)されるという、同士討ちが起こりました。

 このように大聖人が預言された他国侵逼難と自界叛逆難は的中し、立正安国の諫暁は正義であることが証明されたのです。

 

依正不二の原理

 『立正安国論』には

 「汝(なんじ)早く信仰の寸心(すんしん)を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然(しか)れば則(すなわ)ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰(おとろ)へんや。十方は悉(ことごと)く宝土なり、宝土何ぞ壊(やぶ)れんや」(御書 250㌻)

と、人々が実乗の一善たる法華経に帰依すれば、全世界は仏国土となり、安穏なる不壊(ふえ)の宝土となることを示されています。

 これは、娑婆世界こそが常に仏の常住する浄土であり、人々が深く法華経に帰依すれば、常に仏と共に霊山浄土に安住することができるという、法華経『如来寿量品』の経説をもとにした御指南です。

 『一生成仏抄』に

 「浄土と云ひ穢土(えど)と云ふも土に二つの隔てなし。只(ただ)我等が心の善悪によると見えたり」(御書46㌻)

とあるように、依報(えほう)たる国土は、そこに暮らす正報(しょうほう)たる衆生の心の善悪によって、浄土とも穢土とも地獄とも変化します。したがって、人々が正法を受持ずれば、その国土が浄土となる反面、国土に謗法(ほうぼう)の人が多ければ、罪のない人までもが謗法(ほうぼう)の報(むく)いを受け、苦悩に喘(あえ)ぐことになってしまうのです。

 

 

立正とは

 総本山第六十七世日顕上人は「立正」の意義について

 「正直(しょうじき)に方便(ほうべん)を捨てるということは、方便にいつまでもとらわれて真実を見ないところが邪道であり、その邪を破すという意義であります。また無上道を説くのが正法を立てること、顕正であります。いわゆる『破邪(はじゃ)顕正(けんしょう)』が、この『立正』であります」(大白法 624号)

と御指南です。つまり立正とは破邪顕正であり、真実の正法に反する一切の邪義・邪宗・思想を破折(はしゃく)し、正法を立てることです。

 さらに第二十六世日寛上人は『立正安国論愚記』に

 「立正の両字は三箇の秘法を含むなり」(御書文段 6㌻)

と、正を立てるということは、本門の本尊・本門の戒壇(かいだん)・本門の題目という三大秘法を立てるということであると御指南です。

 『立正安国論』提出の文応元年当時、大聖人は末法の正しい行法について『唱法華題目抄』において、前代未聞(みもん)の唱題修行を確立されたばかりでした。しかし、一期(いちご)の御化導を通じ立正の意義を拝せば、三大秘法、ひいては本門戒壇の大御本尊を弘通し、世に立てていくことが、正法を立てるということです。 

 そして、この立正によって安穏な国土世間を実現することが叶うおです。

 

仏の未来にも劣らず

 『種々御振舞御書』に

 「此の書(立正安国論)は白楽天(はくらくてん)が楽府(がふ)にも越へ、仏の未来記にもをとらず」(御書 1055㌻)

とあるように、立正安国の原理は、鎌倉時代のことだけではなく、仏の未来記のように、未来永劫、全世界に通じるものです。

 今現在も、新型コロナウイルス感染症等によて世界に不安と苦悩が蔓延っています。

 私たちは今こそ立正安国の御教示を肝に銘じ、折伏弘通に励んでまいりましょう。

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info