禅宗(曹洞宗)から改宗し、日蓮正宗に入信した体験
[大白法 平成29年7月1日号 8面より抜粋]
札幌・仏見寺支部 H.Fさん
私の家の宗旨は禅宗の一派である曹洞(そうとう)宗でしたが、私自身はお寺に縁がありませんでした。両親が亡くなった時に知人の葬儀屋にすべてお任せしたとき、近くの曹洞宗の寺院を紹介されました。親の葬儀で、「葬式にはお金がかかる」と世間で言われている通りだと実感し、「お寺さんは食べるのに困らないのでは」と、息子をお坊さんにすることを考えました。
息子を曹洞宗で得度させ
そして息子が十歳になったとき、得度式をして曹洞宗の僧侶にしました。と言っても、特にお寺で修行するわけでもなく、自宅で普通の生活を送りました。父の十七回忌が終わってからは徐々に曹洞宗の寺と疎遠になっていたところに、久々に友人がKさんをお連れして我が家を訪ねてきました。Kさんは法華講仏見寺支部の講員で、私たち一家を折伏に来られたのです。
お話を聞いているうちに、だんだん引き込まれ、言われることにいちいち納得できました。Kさんは私と同じ昭和十七年生まれで、宗教について詳しく、それにも増して多くの体験を踏まえての話には説得力がありました。妻も、喫茶店を営む商売柄、政治と宗教の話はタブーでしたが、お話にすっかり魅了され、私たち夫婦は即答で入信を決意しました。そしてKさんと一緒に仏見寺に行き、御住職・藤原広行御尊師にお目にかかりました。本堂で厳かに御授戒を受けて入信し、御本尊様を御下付戴きました。入仏式には、ご住職が我が家にお出でくださり、家族そろって御本尊様をお迎えできました。
息子も改宗、晴れて家族全員で信心
その後間もなく、娘も御授戒を受けることができましたが、ただ一つ問題がありました。息子が曹洞宗の僧侶のままです。さあ、どうしたものかと悩みましたが、やはりKさんに話してもらうのがいいと考え、早速息子を折伏してもらいました。
息子もKさんのお陰で改宗を決めました。謗法払いのため曹洞宗の袈裟・衣一式と付属品のすべてを仏見寺に持参して、息子家族は揃って御授戒を受けることができました。これで我が家の全員が日蓮正宗信徒となり、家族も子孫も無間地獄に堕ちる心配はなくなり、先祖の追善供養を正しくできるようになりました。
こうして家族全員が御授戒を受けてからは、私はほぼ毎日のように時間を作ってお寺に通い、御題目を唱えています。ご住職の法話は初めのうちは難しいと感じましたが、とにかくまじめに拝聴しているうちに、最近はよく判ってきたような気がして、楽しくなりました。
総本山には一年半の間に三度参詣させていただきましたが、行くたびに「ありがとうございます」と本門戒壇の大御本尊様にお礼を申し上げております。
信心を始めてから生活にメリハリが出て毎日が楽しく、「この仏法に命をかけるぞ」と生きがいを感じるようになったことは何よりも大きな功徳であり、御本尊様に守られていることを実感し、心から感謝申し上げるこの頃です。
友人の折伏へ
振り返ってみますと入信以来、自他共にいろいろな功徳の体験を見てきました。今日は、その中から二つだけ紹介させていただきます。
一つは、私が折伏した友人の話です。
札幌から車で二時間以上はかかる町に住んでいた友人のAさんは、地域社会の名士で、その地域では大きい曹洞宗の寺の筆頭総代、神社の総代長も務め、大きな会社を経営されていました。ところが、不景気のため数年前から仕事も生活もすべてが行き詰まり、何をやっても裏目に出て、特に納税が滞ったことから税務署がらみの難しい問題もあり、たいへん苦しんでおられました。
この方を折伏するには、どうしても上山さんの力が必要だと感じ、一緒に行くことになりました。二人でご自宅に伺うと、ご家族で私たちを快く迎え入れてくれましたが、この頃Aさんは、すべてを投げ捨てて裸一貫で札幌に引っ越すことを覚悟していたところでした。
いろいろ話を伺いながら折伏を始めました。Aさんはたいへん理解が早く、まずご夫妻が入信することを決められました。遠い道のりを車で走り、お寺に着いたのは夜の八時すぎでした。早速、ご住職にお目にかかり、改めて入信を決意できました。そして、それまで付き合いのあった寺や神社に離檀(りだん)する旨を伝えに行かれました。
謗法を払い きっぱりと改宗
Aさんは御授戒を受け、御授戒後のご住職の御指導を感動と歓喜にあふれる面持ちで聞いておられました。その時ご住職より「早く環境を整えて、御本尊様を自宅に御安置申し上げるように」とご指導がありました。
一方、禅寺では檀家の筆頭総代、神社では氏子(うじこ)の総代長でしたから、どちらも辞められては困るのでしょう。それぞれ関係者が集まって話し合い、情に絡めて説得してきたのです。しかし「何と言われても私はもう日蓮正宗に改宗したのだし、新たな人生をスタートしたのです。そう決めたのだから、絶対に戻ることはない」と言い切ったそうです。その明くる日、何を思ったのか禅寺の住職が自宅までお布施を貰いに来たそうで、Aさんに「もう辞めたのです。辞めた者の所に何をしに着たのですか」と一喝され、すごすごと帰ったそうです。このような対応といい、葬儀等のお布施といい、つくづく日蓮正宗と邪宗との違いを感じます。その日のうちにAさんは仏見寺で御本尊様を御下付戴き、同時に息子さんも御授戒を受けられ、さらに後日、お孫さんも御授戒を受けられました。
寺院参詣に励み 総本山へ登山も
入仏式には私とKさんが、ご住職をご案内してご自宅に伺いました。Aさんのご家族も揃って、和やかな中にも厳粛に御本尊様を御安置いただくことができました。それからのAさんは、八十歳という高齢にもかかわらず毎週、車を運転して家族揃って仏見寺にお参りに来ておられます。お会いするたびに「ありがとうございます」と言われるので、私は本当にいいことをさせていただいたのだと、心から有りがたく嬉しく思っています。
御授戒を受けたお孫さんは、願いが叶い希望していた通りの就職が決まり、早速仕事に従事しておられます。Aさんは入信から二ヶ月後の支部総登山に参加することになりました。「今は私一人しか行けないが、これからがんばります」と、家族を代表しての初めての登山でした。総本山で御開扉を受け、御法主日如上人猊下の御姿も拝しました。御開扉と丑寅勤行では、私も上山さんもAさんと一緒になって御本尊様に「行き詰まった現状が解決しますように」と、一所懸命にご祈念させていただきました。
初心の功徳に 感激の涙
支部総登山から帰った次の日です。突然、Aさん宅に東京の業者から電話我は入りました。何とその電話一本で、何年も苦しんだ経済的な問題が一気に解決してしまったのです。札幌に引っ越す必要もなくなり、元の家で安心して生活できるようになりました。大きな功徳を戴き、私もKさんも嬉しくて鳴きました。皆で御本尊様にお礼を申し上げ、ご住職にもご報告しました。ご住職は「正直な信心が御本尊様に通じた功徳です。今後も家族揃って、水の流れる如くご精進ください」と、心から喜んでくださいました。
今度は家族揃って総本山に参詣して本門戒壇の大御本尊様にお礼を申し上げたいと願っていたAさんは、次の支部総登山に家族そろって参加され、大御本尊様にお礼を申し上げることができました。今ではいつも最高の笑顔でお寺に参詣し、がんばっておられます。初心の功徳という話は聞いていましたが、この一件に「こんなことって本当にあるのか」と、もう言葉がありません。
交通事故にも命を守られて
次は私の娘の体験です。昨年の十二月のことでした。娘が運転して社員三人を乗せて札幌に戻る途中でした。国道二三〇号線の中山峠にさしかかったとき、車がスリップして対向車線のガードレールにぶつかり、車が大破して廃車になるほどの事故を起こしたのです。対向車も後続車も、事故に巻き込みそうな状況でしたが上手に停車してくれたので、危うく難を逃れることができました。頑丈な車が大破するほどですから、人身事故になってもおかしくありませんでしたが、娘はもちろん三人の同乗者も皆無事で、怪我ひとつなかったのです。これが御本尊様の御加護でなくて何といえましょう。
御加護にお応えする決意
娘も社員も無事で、さらに車は保険により新車となりました。私も感謝の思いで御題目を唱えさせていただきましたが、娘はこの事故があってからというもの、札幌に帰ると必ずお寺に参詣するようになりました。
御法主日如上人猊下は
「折伏は今日の如き混沌とした世の中を救い、苦悩にあえぐ多くの人々を幸せに導く最善の方途であります。そもそも、折伏は地涌の菩薩の使命であり、一切衆生を救済する最も尊い行業であります。日蓮大聖人様は『諸法実相抄』に『日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』(御書666)と仰せであります」(大白法八二七号)と御指南あそばされております。
今、私たちは御法主上人猊下の御指南のもと、平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節に向かって、法華講員八十万人体勢構築をめざして、指導教師の御指導のもと僧俗一致、力いっぱい折伏にがんばっております。私は入信してからまだ一年九ヶ月程度ですが、御住職をはじめ多くの先輩諸氏の指導、激励をいただき影響をうけましたので、ぜひとも折伏に参加したいと思い、手当たり次第に知人、友人宅を折伏して回りました。その結果、三十二名の方々を折伏させていただきました。
今後はもっといろいろな行事に参加し、一人でも多くの人々を折伏して、少しでも広宣流布のお役にたって、大聖人様の御恩徳にお応え申し上げたいと思っております。
(平成29年4月23日 北海道第一地方部総会より)