「世界真光(まひかり)文明教団」・「崇教(すうきょう)真光」
成立・教義と疑問
岡田光玉(こうたま 本名良一)が創立した「世界真光文明教団」は、活動の目的を、手かざしによる「真光(まひかり)の業(わざ)」で、この世のすべてを浄化し、神の世界を地上に実現することとしています。
また、「崇教(すうきょう)真光」は、光玉が死亡した際、後継者争いに敗れた光玉の養女・恵珠が教団から分派独立して設立したものであり、教義の大綱は世界真光文明教団と、ほとんど変わりありません。
◇沿革・歴史
岡田良一(よしかず)は、戦時中、病気や経済苦などを経験し自殺まで考えたといいます。
戦後「世界救世教」に入信した良一は、ゴム長靴や地下足袋の行商をしながら、世界救世教の浄霊法である「手かざし」活動を熱心に行なっていました。しかし、世界救世教教祖・岡田茂吉の死去により教団内に内紛がおこると、良一は宗教的独立を考えるようになりました。
昭和34年2月、良一は高熱により意識を失いました。そのころ、「神の道といい、経文、バイブルなどなど、おのおのそのカケラを語らしめしのみ。…汝、その奥を語らしめられん。神理のみたま、汝の腹中に入る。汝その聞く所を語らん。天の時到れるなり。起て、光玉と名のれ。手をかざせ」(趣旨・御聖言24)との神の啓示を受けたといいます。これは「世界救世教」の岡田茂吉が受けたとする神示と、ほとんど同じ内容です。
「魁(さきがけ)のメシア」として立教を決意した岡田光玉は、養女岡田甲子(のちの恵珠)とともに昭和34年6月、大田区大森にある天祖神社で第一回「真光初級研修会」を催し、8月には神田須田町で「LH陽光子友乃会」を創設して布教をはじめ、翌年には立川に、36年には八王子に支部を置きました。
昭和37年2月、世田谷区羽根木に本部「元(もと)み魂(たま)座」を新築し、「世界真光文明教団」と改称して、翌年には宗教法人の認証を受けました。
昭和43年2月、大田区田園調布に仮本殿を建築し本部を移転。昭和44年に光玉は神の啓示をまとめた『御聖言』を刊行しました。さらに昭和48年には、教団の崇教局長という重要ポストに関口榮が就任しています。
昭和43年6月23日、岡田光玉が73歳で死亡しました。
葬儀の席上、教団は「光玉は生前、『第二代教え主を関口榮に』との神の啓示を受けていたとして、関口榮を後継者に指名しました。しかし光玉の養女・恵珠は「光玉の死去の10日前に、光玉から直接『ヨの御み霊』を授けられ、教え主継承の儀式を終えている」と反論し、恵珠が教団代表役員の登記を済ませてしまいました。
これに対して訴訟を起こした教団・関口榮側が裁判に勝利し、のちに関口が正式に第二代教え主に就任しました(宗教法人の代表役員として関口榮が登記完了)。
これを受けて岡田恵珠は文明教団から分派独立し、昭和53年に「崇教(すうきょう)真光(まひかり)」を設立しています。
◇教えの概要
主祭神は、御親元主真光大御神といい、主の神、または主の大神とも称しています。教団では、この神を宇宙天地万象万物創造の大元・中心の神と規定し、神道では天照大神、仏教では聖観音、キリスト教ではヤハエ、回教ではアッラーの神と呼ばれる、これらの神や菩薩の大元の神であるとします。
教団では以下のような「神様のご計画」「宇宙の法則」という神理正法の教えを説いています。
主神が人間を創造した目的は、主神が用意した資源を人間に開発させて、神の世界を地球上につくることにある。ところが人類は物欲に執われ、罪を重ねたため、主神との交流ができなくなった。そこで主神は、イエス、釈迦、モウシェ(モーゼ)、マホメットなどの聖者を遣わし、人類の物欲にブレーキをかけようとしたが効果がなく、ついに人類は主神を忘れ、否定するに至った。やむなく人類の物質文明を行き詰まらせることを決意した主神は、大天変地異等による「火の洗礼」を行ない、汚れた地球と人類を浄め、その浄められた人々種人によって、次の新しい文明(霊主文明)への再出発をさせようとしている。その実現のために、初代教え主・岡田光玉を通して、人類に火の洗礼が到来することを知らせるとともに、洗礼から逃れる方法として「手かざし」による真光の業を与えたと、このように教団では説明するのです。
ですから、不幸の原因をすべて解消し、人々を幸福へ導く具体的方法が「手かざし」とされ、この手かざしによって人々は主神の存在を知り、神の子としての本来の姿に還り、神性化していくといいます。
手かざしは、三日間の研修会を受講することで、誰にでもできるようになり、みずからが奇跡を起こせるようになるそうです。なお、10歳以上であれば、人種や国家、宗教の違いを問わず、誰もが受講できるとしています。
なお「崇教真光」では、この手かざしは、人間だけでなく食品や水、動物・機械・家屋などに施しても大きな効果が得られるなどとし、それらをさらに宗教儀式や宗教商売として、さかんに利用している面もあります。
教団では、人間は霊体・幽体・肉体の三つからなり、この三体を司る主魂(しゅこん)が、額の奥10センチほどの所に宿っていると教えます。人間は死ぬと肉体から主魂・霊体・幽体が抜けて幽界へ往き、200年から300年間にわたって、幽界で現界への執着を取るための行をするといいます。そして、この行が終わり再び現界に人として生まれることを「再生」といい、行を怠ったり、物・金に執着が強いと「転生」という動物に生まれ変わるそうです。人は再生と転生という仕組みのなかで鍛えられ、いろいろな経験を通してより高度な神性化人になっていくと教えます。
信者は日々の修行において、『御聖言』と『祈言(のりごと)集』を用います。『御聖言』は光玉が主神より神示を受けたという内容を収録したものであり、『祈言集』は、手かざしにあたって唱える祈り言葉や光玉の教示を収録したものです。
また教団では、人間は先祖あっての存在であり、また現実に先祖は霊界で生きて活動していると教えます。そこで「敬神崇祖」の精神を説き、神の仕組みに則り正しく先祖の霊を祀ることが大切であるとします。先祖を祀るうえで一番大切なのは「位牌(いはい)」を作って「食事を供える」ことと説いています。先祖は位牌を通して、子孫が供えた食事をたべて、ひもじい思いをせず、「幽界生活」を元気に送れるのだそうです。
◇教義・信仰に疑問を抱く理由(わけ)
▼岡田光玉は「釈尊は、主神から遣わされた」と教えますが、釈尊が説いた八万法蔵と呼ばれる多くの教典をみても、そのようなことは一切述べられていません。むしろ仏教では、“神”は仏や菩薩が、衆生を救済するたえに仮の姿として現れる(垂迹)と説いています。このように、何ら根拠のない岡田光玉の教えをよりどころをする教団は、荒唐無稽な邪教と言われても、反論の余地はありません。
▼岡田光玉は、主神の教えを説く聖人の出現を、日蓮大聖人が「直弟子たちに伝えた極秘文書『三澤抄』の中で述べている」と主張しています。これは「三沢抄」という大聖人の御書の言葉を岡田が勝手に引用し、間違った解釈を基とした思想であり、日蓮大聖人は岡田光玉の出現など、どこにも預言などされていません。
▼教団では、現実世界の背後に先祖霊や怨霊(おんりょう)、動物霊などの霊界があると主張し、人間生活のあらゆる不幸現象は、80パーセントが霊障による、などとしています。しかし、仏教では死後の世界は法界にあって前世の因果を感じながら、縁によりまた生ずると説き、因果を無視した霊界や霊魂の存在を否定しているのです。
岡田の教えは明らかに因果の道理を無視した、到底、信用に値しない外道思想であることは明らかです。
※上記文章は「諸宗破折ガイド」(大石寺発行)を基に筆者がまとめたものです。