病や困難を乗り越える信心 日如上人ご指南
○病によって道心は起きる
法華経の結経である観普賢経には、「若し懺悔せんと欲せば 端座して実相を思え 衆罪は霜露の如し 慧日能く消除す」(大石寺版法華経 648)
とあります。
懺悔の「懺」というのは、今後を改めるということです。また「悔」というのは、前非を悔いるということであります。「実相」とは何かというと、妙法蓮華経のことであります。『諸法実相抄』に
「実相と云ふは妙法蓮華経の異名なり」(御書665)
とあるように、今時におきましては、文底下種の三大秘法の大御本尊に心から過去遠々劫の謗法罪障消滅を願い、南無し奉ることが懺悔という意味であります。たとえ過去の宿業によって業病(ごうびょう)に冒された人であっても、強盛なる信心をもって御本尊に祈念することにより、まさしく「衆罪は霜露の如し 慧日能く消除す」、日の光によって霜や露がたちまち消え去るように、諸々の過去からの罪障も消滅して、身の病も、そして心の病も消え失せるのであります。
まさに末法の正境たる南無妙法蓮華経の御本尊を戴いて、信心をしている我々は、この御教示を固く信じて疑わず、御本尊に対する絶対信を持って自行化他の行業に励むことが最も大事であると思います。
また、(中略)「人の死ぬる事はやまひ(病)にはよらず。当時のゆき(壱岐)・つしま(対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人に一時にうちころされぬ」(御書900)
とあり、そのあと「病あれば死ぬべしという事不定なり。又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候か」と続いております。
まさに病によって道心は起きるとの仰せは、非常に尊いお言葉です。私達にとっては、どんな悪業であろうとも、いかなる業病であろうとも、お題目をしっかりと唱えていくことによって、これを必ず解決することができるということであります。
皆さんのなかにも心の病や身の病を、それなりにお持ちの方もいらっしゃるかも知れません。私達は自行化他にわたる行業をもって、その病を克服していくことができるのでありますから、重々このことを知るべきであります。(大日蓮 平成30年9月号 39)
○魔は絶対に仏様には勝てない
大聖人様は「魔競はずは正法と知るべからず」と仰せられて、大聖人様の仏法は正しい仏法だからこそ、魔も紛然と起きるのであるとおっしゃっております。ですから、一人ひとりが信心する上では、様々な難、魔が起きてきます。しかし、魔は絶対に仏様には勝てないのです。たとえ魔が起きてきた時でも、我々が大御本尊様への絶対の確信を持ち、強盛な信心に住して一切衆生救済の行業に励むところ、必ず諸天善神の冥護(みょうご)を被り、必ず魔を対治することができるのであります。
何回も言いますが、魔は絶対に仏様には勝てないのです。その確信のもとに、どんな魔が起きた時でも、私達は御本尊様を第一に、しっかりと自行化他の信心に励んでいけば、おのずと魔は必ず退散するのであります。その意味で、私達は魔を全く恐れることなく、なお一層の確信を持って、いよいよ強盛な信心に励むことが最も大事であります。
我々がこれから進む道のなかには、様々な障害が生じてきます。でも今、申し上げました通り、しっかりと御本尊様を拝していけば、どんな障害も、どんな魔も、必ず対治することができるのでありますから、このことをしっかりと念頭に置いていただきたいと思います。(中略) 各講中ともに力強く前進をしております。この戦いのなかで最も大事なことは何かと言うと、初めにも言いましたように、僧俗一致・異体同心の団結であります。大聖人様は『生死一大事血脈抄』に
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か」(御書514)
と、僧俗一致・異体同心ということが、いかに大事であるかを仰せであります。
皆さん方が心を一つにして広宣流布に向かって前進するところ、すべての魔は必ず退散します。そして、大聖人様のお褒めにあずかることができるのであります。(大日蓮 平成30年10月号 55)
◇たとえ業病(ごうびょう)でも必ず消滅できる
一切の現象は因果(いんが)の理法によって現れるのでありますから、今日の様々な苦楽の結果はすべて、過去の様々な業(ごう =振る舞い)によって感ずるものであります。例えば私達が、いかなる境遇に生まれ、いかなる能力を持ち、いかなる因縁(いんねん)をもって生まれてくるかは、すべて過去世の宿業(しゅくごう)のしからしむるところであります。
したがって、病気も同様で、病気になるには、なるだけの原因が必ずあるのです。それが過去世によるものなのか、あるいは現世に作られたものなのかの違いはあっても、いずれにしても宿業あるいは現業という業(ごう)によって起きる病気は難病であると言われているのであります。
特に、過去世において正法(しょうぼう)を誹謗(ひぼう)した因縁の報(むく)いとして起こる業病(ごうびょう)は、そのなかでも難病中の難病であるとされ(中略)たとえ過去の宿業によって業病に冒(おか)された人でも、「衆罪は霜露(そうろ)の如し 慧日能(よ)く消除す」、日の光によって霜とか露がたちまちに消え失せてしまうように、大御本尊への強盛な信心によって、過去からの様々な重罪も、さらに身の病も心の病も、すべて消滅することができるとおっしゃっているのです。
ですから、私達はこの確信を持って、しっかりと信心をしていけば、様々な宿業の因縁は必ず浄化することができます。たとえ業病であっても、私達の一念によって必ず消滅できるのです。
末法の正境(しょうきょう)たる文底下種の南無妙法蓮華経の御本尊を戴いている我々は、この御教示を固く信じ奉って、御本尊に対する絶対信を持ち、一人ひとりが自行化他の行業に勇猛精進していくことが、今、最も大事であろうと思います。
(御指南集25 73㌻)