浅井昭衛会長 「戒壇建立の地」についての指導
昭和39年9月号『富士』より
下条より約半里ほど離れた北方に大石カ原という茫々(ぼうぼう)たる平原がある。後には富士を背負い、前には洋々たる駿河湾をのぞみ、誠に絶景の地であり、日興上人はこの地こそ、本門戒壇建立の地として最適地と決められ、ここに一宇の道場を建立されたのである。
かくて、日興上人は弘安2年の戒壇の大御本尊をここに厳護されると共に、広宣流布の根本道場として地名に因(ちな)んで多宝富士大日蓮華山大石寺と号されたのである。これが日蓮正宗富士大石寺の始まりである
※このように、かつて浅井昭衛氏は、「日興上人が開かれた現在の大石寺こそ、広宣流布の暁に本門戒壇が建立される最勝の地である」と断言されています。このときは、まだ「天母山」のことは一言も述べていません。顕正会の会員さん! ぜひとも幹部の方に「どうして浅井昭衛先生は、最大事の戒壇の意義を、途中で変えてしまわれたのですか?」と質問してみてください。(筆者注)