浅井昭衛会長の指導
「本門戒壇の大御本尊まします処が、事の戒壇」(細井日達上人の御指南を引用して)
昭和50年3月23日発行
機関誌「富士」(日蓮正宗 妙信講発行)より
※「日蓮正宗 妙信講」とは現在の「冨士大石寺 顕正会」の以前の名称です。
(浅井昭衛氏の発言)
「事の戒壇」の定義について
次に、「事の戒壇」の定義について確認をしておかねばならない。その故は、昨年五月(創価)学会総会に於て、猊下(細井日達上人)が「正本堂は事の戒壇である」と仰せられたことに就き、“猊下も既に御認承”と、かえって誇称するを縷々聞く故である。総会に先立って森田(創価学会)副会長に念を押した憂いの一つはこれであった。
申すまでもなく、猊下(日達上人)がたまたま仰せられた「事の戒壇」とは、宗門古来の定義とは全く別な意味であられる。従来宗門に於ては、一天広布の暁に事相に立てられる国立戒壇を「事の戒壇」とし、その実現こそ宗門のいのちをかけた悲願であった。だが、諸々の法相は所対によって異ると、さればいま猊下(日達上人)の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものではなく、所住の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。従って曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく(正本堂は)「事の戒壇」であるとの御意であられる。此のことは、昨年四月二十七日の大客殿に於ける御説法に明らかである。即ち、「この御本尊在すところは事の戒壇で、この御本尊が事の御本尊である。事の御本尊である故に、この御本尊在すところは事の戒壇でございます。だからその御本尊が、たとえ御宝蔵にあっても、あるいは唯今奉安殿に安置し奉ってあっても、あるいは今正に出来んとする正本堂に安置し奉っても、その御本尊在すところは何処・何方でも、そのところは即ち事の戒壇であります」と。猊下(日達上人)の御意は以て明らかである。
だが、(創価)学会で従来用いてきた「事の戒壇」の意味は宗門古来よりの定義に準じている。その定義を以て「正本堂を事の戒壇」と断定するから仏法の違背というのである。
此の義を明確にする為、まず先師の御指南によって宗門古来の定義を示す。いずれの先師上人も、三大秘法抄の御遺命たる広宣流布の暁の事相の国立戒壇を「事の戒壇」とせられ、それ以前の大御本尊在す処を「義として本門戒壇に当る」即ち「義の戒壇」とし、また末寺・在家の持仏堂も遠くはその義に当る旨を定義し給うておられる。(以下略)
《解説》
上記のように、昭和50年当時の浅井昭衛氏は、「日達上人の御指南は間違ったものではなく、創価学会の解釈が間違っているのだ」と指摘しています。
※文中( )は編者が文意を理解しやすくするために加えました。