法華経の迹門(前半部分)と本門(後半部分)の真義
【日蓮正宗略解】を参考に、筆者が読みやすく表記を変更したものです。
本門の「本」とは「久遠実成の本地」、迹門の「迹」とは「近成の垂迹」という意味で、「実体と影現」(本地と垂迹)の関係にあります。
中国の天台大師は法華経の解釈にあたり、前十四品を迹門とし、後の十四品を本門として、釈尊という仏の「久」と「近」のちがいを明らかにしました。つまり、法華経序品第一から安楽行品第十四までは、釈尊が、三千年前にインド仏陀伽耶にて30歳の時に悟りを開いた仏であるという「始成正覚の仏」という立場で説かれた仏説~との意味から「迹門」と称します。
一方、法華経涌出品・如来寿量品では、迹身(30歳の時に初めて悟りを開いた仏という立場)を否定し、久遠という無限の悟りと、無始無終の生命を開いた仏としての本地を顕わし、その後の法華経は、そうした久遠の仏としての立場を顕わした仏が説く教え、との意味から、後の十四品を「本門」と称するのです。
法華経迹門について
法華経迹門で一番大事な教えは、「諸法十如実相の開顕」にあります。法華経で説く諸法の実相(一切の存在の世界の実相)は小乗教で教える「我空涅槃」や、諸大乗教で説く「人法二空」等の偏真の理ではありません。たとえいかなる極賤卑小の存在も、その本質は広く法界に通じており、縦の時間的な経過次第や、横の空間的なもろもろの存在並列にかかわりなく、直ちに差別がそのまま平等、平等がそのまま差別であるということ。つまり相性体力作因縁果報本末究竟の十如は、円融の空仮中の理によって十界のすべてに行きわたり、法界の万象に通じているということで、このような、諸法(この世界のあらゆる存在)のそれぞれに本来具わる絶対の妙理を「性具の三千」といいます。
仏はこうしたこの世のすべての存在の本理を悟り、「一切法は皆仏法」と説きましたが、迷い多き私たち衆生は、この真実相を見ることはできませんし、まして、みずから座禅などを組んで、仏の深い悟りを理解することなど絶対にできないのです。法華経方便品ではこの真理を「唯だ仏と仏とのみが、よく理解できるもの」と、その悟りの深さを表現しています。
法華経方便品から人記品までの八品に至ると、諸法実相を根底とする二乗作仏義が顕わされ、九界即仏界十界互具の理に帰せしめられました。これが、爾前経をも包括し、法華経迹門に至るまでのすべての仏の教説中、究極の仏の悟りの実体です。
法華経本門について
法華経本門で説かれる一番大事な法門は、「久遠実成」です。インドに出現した釈尊は、法華経涌出品第十五において、地涌の菩薩の出現をきっかけとして久遠という仏法の源を本地とする法を説き、法華経寿量品において、仏の一身に具わる久遠以来の三身が相即する深義を明示しました。この本門の開顕により、迹門の始覚始成の十界互具、すなわち本無今有、有名無実の百界千如の法は、本門常住の百界千如一念三千の中へ摂入されて、釈尊の化導を受けていた在世の衆生も、この円融の大生命の本種(久遠元初以来の聞法下種の立場)に立ち返って成仏の功徳を得たのです。
天台大師の解釈
この本門と迹門について、天台大師は法華玄義に迹門の十妙と本門の十妙を説いて、本妙迹妙の内容を比較広説しています。この外に本迹そのものの意義については、六重本迹も法華玄義には説かれています。
要するに、天台大師は随所に本門迹門の考え方を基本として法華経の意味を判定しましたが、その所詮は、釈尊が一生の間に行なった化導(さまざまな経典)を分類し、判定し、何が真実の経典であるかを解説することにありました。天台大師はあくまでも「インドに出現した釈尊」という仮の仏による教えと、その仮の仏身を基本として、久遠という本源の仏法を説明しているに過ぎず、当然、天台大師の所説には限界が存在するということです。ですから、末法に初めて威力を発する法華経の本門の教え(本法の法体)、また末法に出現する地涌の菩薩(上首上行菩薩の本地は久遠元初三身相即の本仏)の意義については、そのものズバリを説くことは、天台大師にはその資格はありません。
ちなみに、なぜ釈尊以下、種々の仏を「迹身の仏」と拝するのかといえば、まず、金色荘厳はすでに随他意の化導となります。よって能説の教主である金色荘厳の仏は皆、迹仏ということになります。
また、所説の法に「四教八教あり」すなわち、その仏が衆生を導くために種々の方便を説く場合、その仏身はまた方便を垂れる迹身であると理解できます。このことから、一切の方便を説示されることなく、随自意の妙法を弘められる日蓮大聖人のみが久遠元初自受報身如来が末法に出現されたご本仏であるということが分かります。
本仏・日蓮大聖人による説示
さて、日蓮大聖人が説示される法華経本門は、釈尊のような迹身(方便の仏身)に即した本門とは一線を画します。日蓮大聖人が説かれる法華経本門の意義は、釈尊が開顕した久遠五百塵点劫の本地を、はるかに超越する久遠元初に溯るものです。
日蓮大聖人が本地として開顕された久遠元初は、初めから方便教もなく、開三顕一も四教八教もなく、まったく迹教迹身を持たぬ独一の本門であり、ただ仏の身と位について本迹を判ずるものです。
ですから天台大師は玄義七で「権実は智に約し教に約す」の文の次に、「本迹は身に約し位に約す」といわれ、自身のあずかり知らぬ所とはいっても、自身の深い悟りの境地から久遠元初の本法、本仏についての見解を示してるのです。天台大師の立場はあくまでも、理を先とし事が裏面となるが、日蓮大聖人が明かされる久遠元初の本法・南無妙法蓮華経の立場から見ると、法華経「事が本で理が迹」となるのです。こうした一番大切な法華経本門迹門のけじめが、他の日蓮宗の僧侶らには、まったく分からないのです。本門事の三千の本仏縁起観も、結局は「理上の法相」であり、「末法の事行」とはなりません。詳しく日蓮大聖人の御書を拝すれば、結要の要法とは「本地の法」であり、「本地の法」とは「久遠元初本因妙、凡夫即極の本門の直体」であることは明らかなのです。この本地の本門から見ると、釈尊が実際に説いた法華経の本門迹門は共に、いまだ一歩たりない迹門の範疇に属することが分かります。
このような法華経の対する見方の重大な教えを「種本脱迹」といい、インドの釈尊が説いた在世に説かれた法華経と釈尊入滅後の正法時代、像法時代の二千年間に流布された法華経、これらと「末法において日蓮大聖人が説かれる法華経の題目・南無妙法蓮華経」の法体(教えの真実の本体)が大きく異なるとする大事の法門となるのです。
要するに、インドに出現した釈尊は、実は久遠元初凡夫即極の御本仏の垂迹として現われた応身仏であるということ、その仮の仏が、仮の仏の立場として説いたを法華経本門迹門はすべて、久遠元初の本法から見ればともに迹門の領域であって、それらはあくまでも釈尊や、その後に続いた天台大師等の弘通の領域に属し、末法の衆生には無縁である、ということです。
これに対して日蓮大聖人が、久遠元初の本仏のお立場のままで、そのものズバリを説かれた唯一の法華経本門の教え(南無妙法蓮華経)が真実の本門ということなのです。
この立場をよく理解した上で、法華経以外のあらゆる経典、あるいは途中の人師論師が説かれた諸説を見渡してみて、初めて一大仏教の真実相を正しく見極めることができると同時に、末法本未有善の衆生が成仏する唯一絶対の教えが、日蓮大聖人説示の大御本尊を基とする本門の三大秘法に極まるということが理解できるのです。