日蓮大聖人の教え
法華経以外で法事を行なえば、かえって先祖を苦しめ、さらに、施主も参列者も、ともに謗法の害毒によって苦しむことになる
謗法の衆生国中に充満して、適(たまたま)仏事をいとなみ、法華経を供養し、追善を修するにも、念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来たって、法華経は末代の機に叶ひ難き由を示す。故に施主も其の説を実と信じてある間、訪らはるる過去の父母・夫婦・兄弟等は弥(いよいよ)地獄の苦を増し、孝子は不孝、謗法の者となり、聴聞(ちょうもん)の諸人は邪法を随喜し悪魔の眷属(けんぞく)となる。日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず。(唱法華題目抄 224ページ)
【通釈】
謗法の人々が国中に充満して、たまたま身内の法事を法華経によって行なおうとしても、念仏等を信仰する謗法の邪僧がやってきて、「法華経では、今の人々を救えない」ということを色々と述べていくので、法事の施主も、そのことを信じて疑わず、以後は念仏で報じを行なうようになる。よって、邪法によって供養される亡き父母や夫婦、兄弟たちは、ますます地獄の苦しみを増して、一方、せっかく孝養心をもって法事を行なった孝養の子供も、親不孝の謗法者となり、さらには、その謗法の法事に列席し、邪法を聞いてしまった人々は、謗法の言葉に悦びの心を生じて、法華経の正法を破ろうとする魔鬼に弟子となる。このように、今の日本の人々は、仏法を行なっているように見えるが、真実には、仏法を行なっていないのである。その理由は、法華経を信じないからである。