母の恩を感じて   ~御書を通して~

 

 父母の御恩は今初めて事あらたに申すべきには候はねども、母の御恩の事、殊に心肝に染みて貴くをぼへ候。飛鳥の子をやしなひ、地を走る獣の子にせめられ候事、目もあてられず、魂もきえぬべくをぼへ候。其れにつきても母の御恩忘れがたし。胎内に九月(ここのつき)の間の苦しみ、腹は鼓をは(張)れるが如く、頸は針をさげたるが如し。気(いき)は出づるより外に入る事なく、色は枯れたる草の如し。臥せば腹もさけぬべし。坐すれば五体やすからず。かくの如くして産も既に近づきて、腰はやぶれてきれぬべく、眼はぬけて天に昇るかとをぼゆ。かゝる敵(かたき)をうみ落としなば、大地にもふみつけ、腹をもさきて捨つべきぞかし。

さはなくして、我が苦を忍びて急ぎいだきあげて血をねぶり、不浄をすゝぎて胸にかきつけ、懐(いだ)きかゝへて三箇年が間、慇懃(ねんごろ)に養ふ。母の乳をのむ事一百八十斛(こく)三升五合なり。此の乳のあたひ(値)は一合なりとも三千大千世界にかへぬべし。されば乳一升のあたひを検(かんが)へて候へば、米に当たれば一万一千八百五十斛五升、稲には二万一千七百束(そく)に余り、布には三千三百七十段なり。何に況んや一百八十斛三升五合のあたひをや。他人の物は銭の一文・米一合なりとも盗みぬればろう(牢)のすも(巣守)りとなり候ぞかし。

而るを親は十人の子をば養へども、子は一人の母を養ふことなし。あたゝかなる夫をば懐きて臥せども、こゞ(凍)へたる母の足をあたゝむる女房はなし。給狐独園(ぎっこどくおん)の金鳥(こんちょう)は子の為に火に入り、憍尸迦(きょうしか)夫人(ぶにん)は夫の為に父を殺す。仏の云はく、父母は常に子を念(おも)へども、子は父母を念はず等云々。影現王(ようげんおう)の云はく、父は子を念ふといえども、子は父を念はず等是なり。設ひ又今生には父母に孝養をいたす様なれども、後生のゆくへまで問ふ人はなし。母の生きてをはせしには、心には思はねども一月に一度、一年に一度は問ひしかども、死し給ひてより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事なれば形の如く問ひ訪(とぶら)ひ候へども、十三年・四千余日が間の程はかきた(絶)え問ふ人はなし。生きてをはせし時は一日片時のわかれをば千万日とこそ思はれしかども、十三年四千余日の程はつやつやをとづれなし。如何にき(聞)かまほしくましますらん。夫外典の孝経には、唯今生の孝のみををしへて、後生のゆくへをしらず。身の病をいや(癒)して、心の歎きをやめざるが如し。内典五千余巻には人天・二乗の道に入れて、いまだ仏道へ引導する事なし。(中略)
父母に御孝養の意あらん人々は法華経を贈り給ふべし。教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給ひて候。日蓮が母存生してをはせしに、仰せ候ひし事をもあまりにそむきまいらせて候ひしかば、今をくれまいらせて候が、あながちにくやしく覚へ候へば、一代聖教を検(かんが)へて母の孝養を仕らんと存じ候間、母の御訪ひ申させ給ふ人々をば我が身の様に思ひまいらせ候へば、あまりにうれしく思ひまいらせ候


         『刑部左衛門尉女房御返事』(平成新編御書1504ページ)より

 

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info