総本山第66世日達上人の以下のお言葉は、ご在位当時、創価学会の信心姿勢の誤りについて指摘されたものです。
現在、総本山の大御本尊と血脈相伝の元から離れたところで信仰活動を続ける、創価学会、顕正会、正信会の方々には、今いちど冷静になって、このお言葉を、全身全霊をもって拝していただきたいと、心から念願しています。
「大聖人の建立あそばされた戒壇(かいだん)の御本尊を中心として、三大秘法の中心の御本尊として、我々は、この一大秘法の御本尊を拝み、宗旨の三秘として、三大秘法を説くのであります。
そこに我宗の宗旨というものがある。…それが、たまたま違ったことが入るならば、それは、日蓮正宗でもない。もし、日蓮正宗の御本尊を拝するならば、日蓮正宗の教義に従って、信心していかなければならないのであります。… 日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提(いちえんぶだい)に広がっていっても、それは、広宣流布とは言えないのであります。
皆様の時に、もし、日蓮正宗の教義でなし、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、決して、我々は喜ぶべきでないし、大聖人が、御喜びになるとは思いません。 (昭和49年6月18日)
「昔、『行水(ぎょうずい)』というのがある。『行水』、夏、皆、盥(たらい)にお湯を沸かして、それを裸でお湯をかぶる、あれを行水という。行の水という。何故(なにゆえ)に行の水と言うのか。
(それは)山寺において、地方から信者が来る、参詣人が来る。昔は歩いて来る。そしてまず、お寺に来たから『お前は暑かっただろう。砂ほこりだろう、さあ、ここにお湯を沸かしたから入りなさい』と言って入れてやったのが行水である。盥にお湯を汲んで入れた。行の水、修行のためのお湯なんだ。
それほどして、僧侶は心を大事にする。信徒を大事にする。しかし、法(大聖人の教え)は曲げない。もし、自分がその正しい法に背くならば、どんどん謗法としてやめなければいけない。それは大事な事なんです」
(昭和49年7月27日)
「人々の無理解のため、或(あるい)いは悪意の中傷に紛動されて、もっともたよるべき信徒が、寺院を非難中傷し、圧迫するようなことがあれば、僧侶はまことに悲しい思いをいたして、否応(いやおう)なく反論しなくてはならないのであります…大聖人以来、七百年間守りつづけてきた伝統と教義の根本はあくまで守り伝えなくてはならないのであります。これをふまえなかったならば、仮にこれからいくら勢力が増しても、広宣流布は見せかけのものであったかとの後世の批判(ひはん)を免(まぬか)れることはできない」 (昭和52年11月7日)
日蓮正宗 妙通寺(妙通寺・日蓮正宗でも検索可)
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