日蓮正宗と正信会とは、どのような関係にあるのですか?
創価学会の池田大作会長(当時)によって御本尊が偽作された等とされる問題で、その誤りを正そうとの運動がおこり、これが正信会結成の起源となっています。
昭和49年、総本山大石寺に正本堂が建立された頃から、創価学会では「池田本仏論」といった誤った思想が提唱されるようになり、日蓮大聖人の仏法とはかけ離れた謗法路線が次々と打ち出されました。
当初、時の御法主・総本山第66世日達上人は、こうした学会の誤りを指摘し、創価学会を善導されつつ、創価学会の謗法と決別して創価学会を脱会した元学会員を、日蓮正宗の末寺の信徒(檀徒)として受け入れるよう、全国の日蓮正宗寺院に指示をされました。このご指南にしたがい、全国の日蓮正宗寺院では次々と法華講支部が結成されていきました。
こうした日蓮正宗からの指弾・働きかけにより、池田大作氏は、日蓮正宗に対して全面的謝罪し、自身はじめ学会組織の謗法を改めることを表明します。そのうえで昭和54年、責任を取る形で、創価学会の会長と日蓮正宗法華講総講頭の職責を辞任しました。そうした反省姿勢受け、日達上人は創価学会の再出発(日蓮正宗の純粋な信徒団体として蘇生できるか否か)を、温かく見守る方針を決定されました。
しかし、創価学会の誤りを指摘してきた一部活動家僧侶の中には、日達上人の指南に従うことなく、「池田大作を追放するまで、活動はやめない」等として引き続き創価学会・池田大作氏への辛辣な批判活動を続けます。
そうした中、昭和54年7月22日、日達上人が御遷化あそばされました。
日達上人のご遷化にともない、日達上人より唯授一人の血脈相承を承けられた日顕上人が総本山第67世の御法主として登座されす。日顕上人は、日達上人が敷かれた創価学会との協調路線を引き続き踏襲され、一切の僧俗を成仏得道へと善導されようと試みられました。
一方、一部の活動家僧侶たちは、日顕上人の御指南が、「学会を擁護するようなものだ」と批判するようになり、昭和55年7月には、僧侶有志が集まって「正信会」を結成。そして、日蓮正宗宗務院の中止勧告を無視して同年8月24日、創価学会を指弾する第5回檀徒大会を東京で開催したのです。
そうした一連の動きを通して、正信会では次第に日顕上人の御指南や総本山・宗務院の指導を受けなくなり、徐々に日蓮正宗の正しい信仰姿勢から離れていきました。その後、正信会に所属する僧侶は次第に日蓮正宗僧侶としての資格を失い、現在では、日蓮正宗とはまったく異質な教義を説く、亜流団体となっています。
平成26年、従来の正信会とは別に、「宗教法人正信会」が結成されると、双方ともに与しない「中間派」も出現し、正信会は大きく三つに分裂していようです。
いずれにしても、正信会は、本門戒壇の大御本尊を根本とし、日蓮大聖人以来の唯授一人の血脈相承に信順する日蓮正宗とは無関係の、謗法団体であることは言うまでもありません。