成田山や川崎大師への初詣 その意味 わかっていますか?
成田山新勝寺と川崎大師(平間寺)はともに、京都にある智積院を総本山と仰ぐ真言宗の寺院です。これらの寺には毎年何十万人という人が、正月三が日に初詣に行っているようです。
これらの寺は「真言宗」ですから当然、弘法(こうぼう)大師空海(くうかい)の教えを信仰し、弘めています。
その弘法大師は、どのようなことを教えたと思いますか?
彼は
「法華経などの一切経は、応身(おうじん)の釈尊が説法したものであり、大日経は法身(ほっしん)大日如来の説法である。大日如来に比較すれば、釈尊は無明の辺域(へんいき)であり、草履(ぞうり)取りにも及ばない。また、法華経は釈尊一代の経典中に第三の劣であり、戯論(けろん)である」
と説いてしまっているのです。
つまり弘法(こうぼう)大師は、インドの釈尊という仏に対し、「履き物取り、草履係以下の劣った仏」と悪口を言っているのです。また釈尊が「真実であり最高である」と説いた「法華経」を、「第三番目、劣った教え」であると否定までしているのです。
ですから、毎年、成田山や川崎大師へ初詣に行くという人は、釈尊の悪口を言う弘法大師に、毎年の無病息災をお願いしているということを、まず認識してください。
さあ、そんな皆さんの中に「我が家は日蓮宗だ」「南無妙法蓮華経だ」という方はいませんか?「家族が亡くなった時、葬儀は南無妙法蓮華経で」という方、実は多いのではありませんか?
すると、初詣では「釈尊の悪口を言った」弘法大師にお参りし、身内に不幸ができて葬儀を行なう時には、今度は手のひらを変えて、釈尊に頭をさげ、釈尊が説いた御経を唱えてもらい、「家族を成仏させてください」と願っていることになります。
こうした姿に疑問を持つのは当然といえませんか?
また、ヨーロッパにある古いキリスト教会には、キリスト教の聖人の像が飾ってあります。その中には、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルという聖人の像が飾られている場合があります(とくにイエズス会など)。
そうした像の中には、ザビエルの彫像の台座に「kami(神)」や「hotoke(仏)」という文字が刻まれており、ザビエルの像が「神」や「仏」を踏みつける構造になっています。
キリスト教会で結婚式を行なったあなた!。あなたは、日本古来の「神」や「仏」を踏みつぶすキリスト教の信仰のもと、永遠の愛を誓っているということを認識していますか?。
子供が生まれたら神社でお宮参り、七五三や初詣は神社や有名な寺、結婚式はホテルの教会、家を建てるときの地鎮祭は近くの神社、子供が受験する時は天満宮、そして葬式は先祖の墓がある寺に依頼する…。諸外国の人の目には、こうした日本人の宗教観は、理解しがたく、この上なく不可思議なものと映るそうです。
宗教や信仰とは、日常生活に深く浸透すると同時に、人生を大きく左右していく大切なものです。
宗教を単なる儀式とか形式、イベントとして軽く考えるのではなく、もっと深い意味を思索していくことがとても大事なのです。
その理論と文献を丁寧に示して、真の信仰について御教えします。どなたでも妙通寺へおいでください。
信じるものが変われば 価値観が変わる
価値観が変われば 人生が変わる
さあ、私たちと真実の信仰をしてみませんか!
日蓮正宗 妙通寺(妙通寺・日蓮正宗でも検索可)
名古屋市中村区烏森町3丁目24番地 地下鉄東山線「岩塚駅」下車徒歩10分