御会式(おえしき)について
御会式(おえしき)とは、日蓮大聖人が1282年10月13日に御入滅(にゅうめつ・亡くなること)されたことにちなみ、その御命日を中心に、10月11月に日蓮大聖人への報恩感謝の心を儀式として表わすものです。
日蓮正宗の寺院においては、一年の中で、もっとも重要な法要とされています。
◇このように申しますと、世の中の方は、「御会式とは、日蓮様の御命日のお祭り」程度に考えている人が多いようです。まったく遠くはありませんが、もっともっと御会式には深い意味があるのです。
日蓮大聖人は、末法万年の衆生の心の闇を照らし、濁悪(じょくあく)の世界に苦しむすべての人を成仏へと導かれる末法の御本仏(ごほんぶつ)です。よって、大聖人の御入滅(お亡くなりになる過程や姿)は非滅(ひめつ)の相(物体としての肉体は滅するが、仏としての智慧や、すべての人を救いたいという慈悲の心は永遠に残る)という尊い姿を、より明らかに示されたものと、信仰的に拝します。つまり、仏様が持つ三世常住(永遠不滅に、尊い境界(きょうがい)から、一切衆生を常に導かれる仏)の徳を明らかに示されたものと拝するのです。
したがって御会式は、亡くなった方に対する追善供養の法事などではなく、日蓮正宗の僧侶や御信徒が、「いつでも、どこででも、日蓮大聖人が私達を導いてくださっている、有り難い」という感謝の心を表わす大切な儀式なのです。
◇日蓮大聖人は、1282年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の池上宗仲宅において、多くの弟子や信徒が唱題するなか、やすらかに入滅されました。第二祖日興上人の記録によれば、大聖人ご入滅(にゅうめつ)の瞬間、大地が振動し、初冬にもかかわらず庭の桜の花が咲き誇ったと伝えられています。
この不思議な相は、末法の御本仏・日蓮大聖人のご入滅を、宇宙法界のあらゆる生命体が惜しむとともに、仏の三世常住の尊い御姿を祝い、讃えていることを表わしていると言えます。
◇我々のような凡人の目を通して、大聖人のご入滅の姿を考えると、一見、大聖人は亡くなって、いなくなられたよう見えます。しかし御書に
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそ(染)めながしてか(書)きて候ぞ」(御書685)
と仰せのように、大聖人の魂(たましい)は大漫荼羅(まんだら)御本尊、とりわけ、多くの御本尊の一番の根源である、本門戒壇(かいだん)の大御本尊(総本山大石寺に安置)と一体(日蓮正宗の信仰では、どの御本尊も皆、生きている日蓮大聖人であると拝する)となって、常に一切衆生を見守り、正しい教えへと導かれているのです。このように、仏は、たとえ目には見えなくても、いつでもどこでも私達を導かれている、このことを法華経寿量品の自我偈では「常住此説法」と表現されています。
◇日蓮大聖人のご入滅後、大聖人の仏法を正しく信受できたのは、六老僧中、第二祖日興上人たったお一人です。また、本門戒壇の大御本尊をはじめとする日蓮大聖人の仏法のすべては、日蓮大聖人よりの唯授一人の血脈相承(けちみゃくそうじょう)によって日興上人に正しく受け継がれ、その正法はさらに日目上人、日道上人へ。そして第68世日如上人の現代まで、確かに大石寺に伝持されています。したがって、大石寺を総本山と仰ぐ日蓮正宗だけが、大聖人の正しい信心と法義に基づいて、大聖人の御会式を行なってきました。
それを示すひとつの事例が、他宗派には見られない行事である『立正安国論』ならびに申状捧読(もうしじょうほうどく)の儀式です。
大聖人の御化導(けどう)の目的は、南無妙法蓮華経の正しい御本尊への信心を日本乃至世界中に弘めて、すべての人を成仏させ、世界の平和を実現することにありました。こうした志をもって大聖人が、鎌倉幕府の権力者に対し、一刻も早く謗法(ほうぼう・まちがった信仰)をとどめて南無妙法蓮華経に帰依(きえ)するよう命がけで訴えられたのが『立正安国論』です。
日興上人、日目上人をはじめ、総本山大石寺の代々のご歴代上人は、こうした大聖人の尊い精神を継承(けいしょう)され、たびたび幕府や京都の朝廷へと申状を捧呈(ほうてい)し、妙法への帰依(きえ)を勧め、一国折伏に身を挺(てい)してこられたのです。このような折伏精神は、ただ日蓮正宗のみに700年以上にわたって伝えられた伝統です。
このような意義から、日蓮正宗の御会式では、各寺院の御本尊の前において『立正安国論』ならびに歴代上人の申状を捧読(ほうどく)し、これまで700年以上にわたって伝えられてきた日蓮大聖人の尊い精神を、さらに末法万年尽未来際まで伝承していくとともに、一人ひとりが折伏の使命を果たすため精進(しょうじん)していくことを大聖人にお誓いすること。これが御会式法要の意義となります。
◇昔から日蓮正宗の信心をする家庭では、「どんなに忙しくても、菩提寺(ぼだいじ)の御会式には必ず参詣しなければならない」と言い伝えられてきました。それは、大恩のある日蓮大聖人へ真の報恩謝徳の行を表わすため。そして幸福の根源となる大聖人の教えを広く世界に広宣流布していくことを祈り、そのために自身も自行化他に邁進(まいしん)することをお誓いする法要だからです。
日蓮大聖人は御書に
「須(すべから)く心を一つにして南無妙法蓮華経を我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書300)
と教えられています。
私達はこうした日蓮大聖人の教えを胸に刻み、御会式の意義を正しく理解して、菩提寺の御会式には、家族そろって必ず参詣してまいりましょう。