座禅で世界の人々を救えますか?  禅宗の教えのあやまり

 

 禅宗には、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗などの宗派があります。禅の教えと精神は、日本的な精神修養方法として、海外にも広く知られています。

 

 ◇「教外別伝」付属なき教え

 仏教の教えは本来、相伝・付属によって後世に伝持されていきます。しかし、禅の教えの祖である達磨大師には、仏から直接伝えられた付属や教えはありません。

 インドに出現した釈尊は、滅度にあたって自身の教えを迦葉という弟子に付属しました。迦葉は阿難に付属し、以後、代々と付属・相伝され、最後の師子尊者まで付属が続けられました。これを「付法蔵の二十四人」といいます。

 しかし、禅宗では、師子尊者が、ダンミラ王に殺害されて、釈尊からの付属が断絶した後も、自分たちが後で歴史に手を加えて三代の付属者を仕立て上げ、第二十八祖に達磨大師の名前を入れて、「釈尊からの相伝は、確かに達磨大師にまで伝わっている」というウソ、デタラメをでっち上げているのです。

 そもそも、釈尊から迦葉へ付属された教えは、「小乗教」です。小乗教は自身の悟りに満足し、他者を救おうとはしない個人の修行が中心に説かれた教えです。広く人々を救っていこうという大乗教には、遠く及ぶものではありません。

 禅宗が、「不立文字」(仏の真実の悟りは、文字や言葉ではなく、心から心へと伝えられていくものという考え)・「教外別伝」(禅宗では、釈尊の教えの他に伝えられている秘密の教えがあるという考え)というのは、釈尊という仏から相伝されていない自作の作為的な宗教であるからこそ主張する、苦し紛れの考え方です。まさに、禅宗はもはや、仏教ですらないということです。

 

 ◇心=仏とする慢心の教え

 禅宗では、座禅をくみ精神統一をはかります。座禅は、心の鍛錬としての効果はあるかもしれませんが、真の悟りを開く手段とは、到底いいがたいものがあります。なぜなら、万一、長年の座禅の修行の結果、「禅宗以外の人間は、人類を滅亡へとおいやることになる。よって他教徒は抹殺することが、むしろ本人たちのためになる」という結論を悟ったとしたら、どうでしょうか。そんな独りよがりの排他的思想が、真の悟りとは言えないのは誰もがわかることではないでしょうか。

 釈尊は「心の師とはなっても、我が心を師としてはならない」(涅槃経)と戒めています。我が心を師と仰ぎ、修行の道を探るという禅宗の教えはまさに、釈尊の心に反しているのです。

 我々凡人の心は「仏」などであるはずはありません。そんな拙い心を中心に考え、真の仏の心を蔑ろにして、「自分の心は、仏、そのものである」と教える禅宗の教義は、慢心の表れ以外の何物でもないのです。

 

 ◇正しい仏教を信仰しましょう

 禅の精神は魅力的に見えることがあるかもしれません。西洋人などは、独特の、ミステリアスな雰囲気にひかれ、座禅を喜んで行なう人もいるくらいです。しかし、残念ながら、座禅を行うことによって世界中で苦しむ、様々な人を救うことはできません。南無妙法蓮華経の教えだけが、人種が違っても、文化や思想が異なっても、皆平等に、ありのままの、本有不改の即身成仏を得ることができる唯一の教えです。

 我が家の繁栄と一家和楽の功徳を得るため、たとえ今は先祖の意に背いてでも、禅宗の教えはすべて捨て去り、仏の真意である南無妙法蓮華経の教えに帰依しましょう。それこそ、真に先祖の成仏もかない、必ずや先祖の方々も喜んでくださることになるのです。

 

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info