大石寺 奉安堂
奉安堂の御宝前について
①本門戒壇(かいだん)の大御本尊
日蓮大聖人が58歳の御時に認(したた)められた御本尊。740年にわたり日蓮大聖人の正統な後継者である大石寺歴代上人によって伝えられてきました。将来、広宣流布が成就し世界平和が実現した暁(あかつき)に、大石寺は「本門寺(ほんもんじ)」と名前を改められます。日蓮大聖人は、「その時に、この大御本尊をその本堂に祀(まつ)りなさい。その時まで大切に護り伝えなさい」と日興上人に遺言(ゆいごん)されました。
現在、世界中に流布する南無妙法蓮華経の御本尊(総本山大石寺より正統な手続きを経て下付されたもの)の中で、この大御本尊がすべての根源です。私たちの家庭の御本尊を「木の葉」に譬えれば、それぞれ菩提寺の御本尊が「枝」、そしてこの大御本尊は、すべての枝や葉に栄養を送り届ける大木の幹(みき)であり根(命の根源)であるということが言えます。
このように最も大切な大御本尊は、数百年、数千年の先を考慮し、“和紙”ではなく頑丈な楠(くすのき)の板に、日蓮大聖人が直接、筆をとって認(したた)められ、その文字の部分を弟子の日法師が彫刻しました。この御本尊だけが当時、板に認められたことからも、この大御本尊がいかに特別の存在であるかを伺い知ることができます。
この大御本尊は、日蓮大聖人のご在世中には、身延山の本堂に祀(まつ)られていましたが、第二祖日興上人が身延から富士へと移り、大石寺を建立された際に大石寺に安置されました。
日蓮大聖人は「日蓮が魂(たましい)を墨に染め流して書きて候ぞ、信じさせ給(たま)へ」との言葉を残されました。つまり、この大御本尊には日蓮大聖人の法魂(仏としての御命)が具(そな)わっており、私たちは、この大御本尊に参詣する時には、“生きている日蓮大聖人が目前で、私たちを導かれている(常住此説法)”と拝して唱題し、過去遠々劫(おんのんごう)よりの謗法罪障(ざいしよう)(持って生まれた悪い命、悪い癖)の消滅と息災延命、家内安全、大願成就、折伏成就と広宣流布の達成をご祈念していただくのです。
その厳粛な法要が、日蓮正宗の信徒が総本山に参詣した際、受けさせていただく「御開扉」法要の意義です。私たちは、御開扉をお受けるする時には襟を正し髪を整え、居眠りなどせずに、清浄な心をもって臨みましょう。
②御宮殿(くうでん) (大御本尊の右)
大御本尊の右側に黄金に輝く「御宮殿(くうでん)」の中には、楠(くすのき)の小片に彫刻された日蓮大聖人の御影(みえい)(木像)が安置されています。
これは、大御本尊彫刻の際、作業に携わった日法師が、大御本尊の残った切れ端(はし)を使って、「大聖人が亡くなった後も、信徒や弟子がお姿を思い出せるように」と、日蓮大聖人に似せて彫刻したものです。そして大聖人が剃髪(ていはつ)された髪の毛を集めて燃やし、それを水に溶(と)いて墨にし、木像の袈裟(けさ)・衣を薄墨色に着色しました。完成したものを日蓮大聖人にお見せすると、大聖人は左手に取って、じっくりとご覧になり、しばらくするとニッコリ笑って「よく我が姿に似たり」と允可(いんか)され(認(みと)められ)ました。
古来、大石寺ではこの木像を「最初仏(さいしょぶつ)」と尊称しています。日蓮大聖人の御生前に作製され、なおかつ御本人からお墨付きをいただいた木像は、世界中探しても、この最初仏様だけです。
③宝塔(ほうとう) (大御本尊の左)
大御本尊の左側に、同じく黄金に光り輝く「宝塔(ほうとう)」の中には、弘安5(1282)年10月13日、武州(ぶしゆう)池上(いけがみ)(現在の東京都大田区)にて入滅され、日興上人の御手によって荼毘(だび)に付された日蓮大聖人の御霊骨(れいこつ)(遺骨)が納められています。当初、この御霊骨は大聖人のご遺言に従って身延山に建立された墓所(むしよ)に納められました。しかし、後に身延山に謗法の人々が多く出入りするようになったことから、日興上人が大聖人の仏法を正しく護り伝えるため富士の地へと移られた際、御墓所の中から御霊骨をすべて取り出し、大御本尊などの宝物とともに移されました。
以来、御霊骨は大石寺で厳護され、現在では半永久に留めおく為に厳重に管理されています。