コロコロと教えや信条、やり方などが変わっていくのが、「新興宗教」の特徴です。
とくに、信仰の根源である「御本尊」を、事情によって交換することは、邪教中の邪教が行なうことです。
学会員である皆さんも、「昔からの日達上人の御本尊を交換しなさい」と言ってくる学会幹部には疑問を持っているのではありませんか?
創価学会では、「日蓮正宗が、創価学会を切ったから、謗法に変わった」と非難しますが、さて、日蓮正宗と創価学会、どちらの信仰が変わってしまったのか。以下に、ほんの一例を提示しますので、よくよくお考えください。
○キリスト教について
(むかし) 因果の理法をわきまえず、生命の根源を何ら明かすことのできない低級哲学のキリスト教は、過去の一時期、仏法のいまだ流布されない一地域をうるおす役目を果たした過去の宗教にすぎない 〔創価学会版 仏教哲学大辞典 池田大作監修より〕
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(いま) 心に師匠(キリスト)を蘇らせたペテロには、殉教こそが誉れであった。弟子ペテロはローマの地で処刑された。その三百年後、キリスト教は公認され、ローマはキリスト教徒の都となった。弟子たちの戦いによって、イエスの正義は証明されたのである。
〔平成14年8月22日 聖教新聞より〕
○四箇の格言について
(むかし) 念仏を信ずる者は地獄の中でももっとも恐ろしい無間地獄に堕ちる…禅宗を信ずる者は天魔の働きであってかならず不幸になる…真言宗を信じ、また一国にひろまるとかならず国が亡びる…律宗を信じまた弘める人は、国を滅ぼす賊である
〔創価学会版 仏教哲学大辞典 池田大作監修より〕
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(いま) 念仏は「どんな疲れ病む衆生をも仏界の生命力で包み、絶対の安心感を与える」もの。禅は「自分の中に自分を変革する力のあることを信じ、それを実感していける」もの。真言は「現実の変革に勇気を持って邁進していける」もの。律は「内なる智慧の力で煩悩を制御し、悪を滅ぼしていくことができる」もの。
〔大白蓮華 平成14年3月号趣旨〕
(いま) 「今後は攻撃されない限りは(他の宗派と)協調していきたい…今の世に『四箇の格言』をそのままにしておくことは、かえってこちらが独善的と批判されかねませんから」(創価学会斉藤教学部長のインタビュー 朝日新聞平成14年8月14日夕刊より)
○勤行について
(むかし) 「信心は、この勤行に始まり勤行に終わるともいわれる。…勤行の実践がいいかげんになっていくと、自然と生命力が弱まり、生活のリズムが崩れていく。考え方まで閉鎖的になり、“世のため、人のため”という意欲も薄れ、名聞名利、地位や財に心を奪われ、あるいは生活を破壊してしまう」 (聖教新聞 昭和61年2月20日付)
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(いま)(勤行は)形式にとらわれる必要はなく、ケースに応じて真剣に祈り願えばよい
〔平成14年5月 発表より〕
○本門戒壇の大御本尊について
(むかし) 「御本尊が大聖人の御真筆であっても、大御本尊に直結しなければ何の功徳もないのである。富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」
〔創価学会 折伏教典 第2版〕
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(いま) 「どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは、大聖人の御本意ではありません」 〔聖教新聞 平成14年3月30日付〕
池田大作名誉会長の昔の指導①
「日達上人御遷化後、御当代御法主(日顕)上人を非難している徒(やから)がいる。…彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手のひらを返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい」
〔池田大作 広布と人生を語る③巻 143頁〕
池田大作名誉会長の昔の指導②
「絶対なるものは大御本尊のお力である。また、絶対なるものは、御書である。そして、仏法の根本を御指南されるのは、あくまでも御法主上人猊下である。御法主上人猊下の御指南にしたがわないものは、もはや日蓮正宗の僧でもなく俗でもない」
〔池田大作 広布と人生を語る③巻 53頁〕
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