創価学会の“日寛上人御本尊”を拝んで
大白法(令和2年4月16日号より)
東京・法道院支部 N.Mさん(大白法紙には実名が報道されています)
私は3年前まで、創価学会員として日蓮正宗の信仰をする家に生まれた、いわゆる学会二世でした。
日蓮正宗に戻ったきっかけは、10年以上前に手術を受けた脳腫瘍が4年前に再発したことです。再発の兆しは、スマートフォンの文字が曲がって見えたことでした。検査の結果、10年前と同様のゴルフボール大の腫瘍が見つかり、手術前に「すべてを取り除くことは難しい」と医師から言われました。
御本尊様を信じているから大丈夫と思って、日々御題目を唱えていましたが、唱えれば唱えるほど不安になりました。当時は『ニセ本尊』と知るよしもなかった創価学会作製販売の本尊から、いつも睨(にら)まれている感覚があり、なぜこんなに唱えているのに睨まれるのだろうと思いました。
休職中に毎日10時間の御題目を唱えて平成28年3月に開頭手術に臨みましたが、腫瘍を取りきれず、視力や視野もほとんど回復せず、原因不明のふらつきや吐き気が後遺症として残りました。さらに残った腫瘍の再発防止のために、放射線治療も必要だと言われました。御本尊様の御力は計り知れないはずなのに、なぜ願いが叶わないのか、当時は全く判りませんでした。サイバーナイフによる治療は、腫瘍に集中的に放射線を照射し、ガン細胞を攻撃するのが目的です。95パーセント再発しないとのことで、ひとまず安心していた矢先の9月、検査の結果、再発の兆候が出ていました。
不幸は私以外にも及びました。母が脳梗塞になり右目を失明しました。学会員の母は、信心で叶わない願いはないと教えられてきましたので、脳梗塞の兆候が出た当初から、『ニセ本尊』に毎日5時間の御題目を唱えていました。その頃、私は創価学会が平成26年に行なった会則変更を知りました。創価学会が信仰の根本であるとしてきた本門戒壇の大御本尊様を、今後は信仰の対象としたいということで、小さい頃から「大御本尊様を根本としなさい」と教わってきた身としては、大変困惑しました。
インターネットで調べて、学会が日蓮正宗の教義に反することを数々行ない、平成3年に日蓮正宗から破門されたこと、御宗門との訴訟でほとんど勝っていると聞いていたが、逆に負けていたことを知りました。そしてある日、御題目を唱えていて自宅の本尊と自分が繋がっている感じがなく、ただの紙に手を合わせていることに気がつきました。
私は小さい頃から信じてきた心の中の大御本尊様に、創価学会の本尊が、それとも従来通りの日蓮正宗の御本尊様か、迷っている自分を正しいほうに導いてくださいと祈る日が続きました。しかし不幸はさらに襲ってきて、妻が原因不明の皮膚病で手が爛れて眠れない日が続き、家庭内が荒れました。子供もアトピー性皮膚炎の悪化で夜も眠れず夜泣きを繰り返し、最終的には原因不明の感染症で入院しました。飼っていた猫も病気になりました。
家族にも不幸な出来事が起きてしまっている、このままでは状況が変らないと感じて、日蓮正宗のお寺に行って御題目を唱え、どちらが正しいかを確かめてみようと思い立ちました。
しかし、今まで創価学会からは「悪」と教わってきた日蓮正宗です。その日蓮正宗のお寺に行く覚悟を妻に伝え、平成28年10月、法道院に参詣しました。
初日は御本尊様を拝することにとどまり、二日目は題目三唱だけ、三日目以降は唱題しました。1週間ほど通いましたが、学会で言っていた罰は起きません。むしろ再び御本尊様に繋がっているような気がしました。
そしてついに『ニセ本尊』を学会本部に返却して創価学会を退会し、勧誡式を受け日蓮正宗信徒となることができたのでした。さらに、日蓮正宗の正しい御本尊様を御下付戴き、御僧侶を自宅にお迎えして御本尊様を御安置申し上げることができました。
その後、すぐに妻と子供に御授戒を受けさせ、本門戒壇の大御本尊様に対し奉り懺悔しなければいけないと思い、家族で総本山にご登山しました。
三門にさしかかった辺りから涙が止まらず、御開扉では心から懺悔し、歓喜に体中が震えました。この喜びは言葉に表し切れません。その後も、休職中に何度も丑寅勤行に参詣するためご登山しました。
次に当時学会員だった父にも日蓮正宗に戻るように話しましたが、聞く耳を持ちませんでした。そこで旅行に誘い、道中で大石寺に案内しました。「お前、俺を騙したな」と言われましたが、総本山が学会の言うようにペンペン草が生えていない、野犬がいないことは確認できたようでした。
私の手術直前、父に再度『ニセ本尊』では願いは叶わないから日蓮正宗に戻って欲しいと話したところ、ようやく納得し、勧誡を受けてくれたのでした。すると、私も妻も子供も、すべてが好転していきました。手術前に「前回の手術よりよくなることはない。腫瘍は前回以上には取れない。視力・視野も回復しないだろうし、腫瘍が取りきれないので、下垂体を切除する。その結果、生きていくためのホルモンが出なくなるから、毎日ホルモン補充のため薬を飲まなくてはならない」と言われていたのが、下垂体の切除は行なわずに済み、視力・視野も回復し、残存腫瘍もすべて取れるという信じられない大功徳を戴きました。後遺症も一切ありません。
世界的権威である医師を含め三人の医師から「以前手術した時は、あんなに硬くて血管に絡みついて、どうしようもなかった腫瘍が、なぜプリンみたいに軟らかくなっていたのか判らない。簡単に器械で吸い取れた」「何なんだろうね、すべてがうまくいった」と病室で言われたのでした。
さらに妻と子供は、初めてご登山した翌日に入院し、原因不明の皮膚病が完治しました。殺伐としていた家庭内は、信じられないほど明るくなりました。
私の仕事面でも、長期入院していたにもかかわらず復職後に昇格しました。そして、休職に伴う傷病手当金が支給されるまでの間は収入がなく不安だったのですが、不思議なことが起こりました。秋の台風による被害という名目で、地震保険の保険金が支払われました。また、家族でご登山する前日にバイクでタクシーと接触事故を起こし、バイクは一部破損し、膝に軽いかすり傷を負っていました。登山させまいと魔が起きたのだと思います。これについても、バイクの修理費と見舞金をタクシー会社より受け取りました。
これら功徳の体験を創価学会の幹部に話したところ、しばらくすると相手の携帯につながらなくなってしまいました。
折伏については、去年の4月に父が亡くなりましたが、父の葬儀に、10年以上音信不通だった兄も来ました。生前、父が兄のことを気にしていたので、父も私も日蓮正宗に戻ったことを話して、兄にも戻ろうと勧めたところ、勧誡を受けました。さらに、葬儀に同席していた甥に功徳の体験を話したところ、御授戒を受け入信しました。このように、正しい御本尊様のもとに帰れたことにより、家族や親戚も次々と日蓮正宗信徒に戻れたのでした。
信心をしていない周りの方々に対しては、ふだんから、自分は仏教徒であり朝はお寺にお詣りをして出社前に心を整えているなどと話し、毎日御本尊様に折伏のお手伝いをさせてください、困っている人を救わせてくださいと願います。すると頭の中をよぎる人が出てくるので、連絡してお会いし、相手の話をじっくり聞き、悩みや求めているものを受け止めるようにしています。
今年の2月、元部下のKさんの折伏が成就しました。Kさんは数年前にお母様を亡くされています。当時、意気消沈していたのでお母様の御名前と命日を伺い、後日、個人的にお寺で塔婆を建てさせていただきました。
そして2月、仕事と結婚という人生の節目を迎えていた彼に、日蓮正宗による追善供養について、お母様の月命日に渡しが追善供養をしていたことを話し、これからは自身で追善供養をしませんか勧めました。そして、人生の転機にあたり、この信心は必ずあなたの力になってくれると話したところ入信を決意し、御授戒を受けることができました。
折伏させていただくときに心がけていることは、何としても幸せになってもらいたい、人生で障害にぶつかったとき解決できる力を持たせてあげたいというこちらの熱意が、どこまで伝わるかだということです。折伏の意欲が上がらない時には、唱題を増やしたり寺院参詣を増やして自らの心を整えます。そして折伏への意欲がみなぎってきたら、御本尊様に「折伏のお手伝いをさせてください」と願って折伏すると、不思議と折伏の縁が回ってくると感じています。これらは、自分の身体で体験した大御本尊様の絶大なる功徳です。
今後も大御本尊様から離れることなく、自行化他の信心修行に励み、御命題達成に向けて、家族そろって御報恩謝徳申し上げてまいります。