◇法華経を信じながらも、「他経にも利益がある」「入る道は違えども、心は一つ」等と考えることは謗法となり、法華経読誦の功徳は無い。
◇他宗を破折する人の言を、とかく世間の人は嫌がるもの
「当世も法華経をば皆信じたるやうなれども、法華経にてはなきなり。其の故は法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経と一なるやうをとく人をば悦んで帰依し、別々なるなんど申す人をば用ひず。たとい用ゆれども本意なき事とおもへり」
(開目抄 御書533㌻)
「法華経をよむ人の此の経をば信ずるやうなれども、諸経にても得道なるとをもうは、此の経をよまぬ人なり」 (報恩抄 御書1021㌻)
「伝教大師せめて云はく『法華経を讃むると雖も還って法華の心を死す』等云々」
(報恩抄 御書1021㌻)
「嘉祥大師の法華玄を見るに、いたう法華経を謗じたる疏にはあらず。但法華経と諸大乗経とは、門は浅深はあれども心は一とこそかゝれて候へ。此が謗法の根本にて候か」
(報恩抄 御書1022㌻)