仏教説話 1メートルの箸 情けは人の為ならず
昔、たいそうお腹がすいて、今にも死にそうな衆生がおりました。衆生は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩といった境界(九界)の人々です。
空腹で苦しむ、それら九界の衆生を哀れんだ仏様は、なんとかして救ってあげたいと願われ、まず何よりも食べ物を与えることにしました。
しかし、ただ単に、それを与えるだけでは、衆生の為にならない。仏様はお考えになり、食べ物を食べる際に、ある条件をつけられました。それは、長さ1メートルもあるような長い長い箸を衆生に渡し、「必ずこれを使って食べなければならない。万一、約束を破り、手で食べるようなことがあれば、瞬時に食物は消えてなくなるだろう」と仰せになったのです。
腹ぺこだった人々は、眼前に現われたご馳走に大変喜び、早速、渡された箸を使って食べようとしました。ところがその箸は、1メートルもあるものですから、食物をつまむことがまず難しい。しかも、やっと掴んでも自分の口へ運ぶことができません。腕の長さよりも、中には自分の身長よりも箸の方が長いものですから、おいしそうな臭いだけは放ちながら、食べ物は口元を過ぎて遠くへ行ってしまいます。何度やっても自分の口に、食べ物を運ぶことはできませんでした。
餓鬼界、畜生界、人間界及び二乗界に至る凡夫は、こんなことを繰り返しやっているばかりで、いつまで経っても空いたお腹を満たすことができず、ついに餓死してしまったのです。これはみな、「他人より自分を優先した」結果、因果応報の道理です。
ところが、そこにいた菩薩界の衆生だけは、仏様が用意してくださったご馳走を、なんなく頂戴して、食べ物を用意してくださった仏に感謝しながら、幸福に満たされていたのです。
なぜ、菩薩だけが、それを食べることができたのか。その理由は、こうです。
菩薩たちは、自分の利益よりも利他、すなわち他人の利益を優先する衆生ですから、食べ物を長い箸で掴むと、「あなたから先にどうぞ」と、自分ではなく、隣に座る菩薩に、真っ先に食べさせてあげるのです。存外に食べ物を貰った菩薩も、すかさず御礼にと、自分の箸でつかんだご馳走を相手に食べさせてあげます。箸の長さ、ちょうど1メートルほど離れて座っている菩薩の仲間に、お互いが、どんどんと食べさせ合って、皆ともに仏様の功徳を享受できた、というわけです。
菩薩は、他人を思いやる功徳によって、結局は、我が身も助かる。皆さんも聞いたことがあろうはずの、二乗根性、あるいはそれ以下の地獄や餓鬼、畜生界、我々の人間世界も、みんな、自分のことしか考えませんから、いつまでたってもお腹がふくれない。何ひとつ、願いが叶わない。自分本位の、そういう姿をおいといて、「ああ、いくら願っても、何にも叶わない」と愚癡ばかりこぼしていても、では、あなたは、世の中の人の幸せのために、御本尊様のために、大聖人様へのご報恩のために、何をしているのですか? ということになるわけです。
日蓮正宗総本山第66世御法主
日達上人お言葉 「人に先んじて憂い、人におくれて楽しむ」