涅槃経如来性品第四

○毒鼓の縁

「譬えば人有りて、雑毒薬を以って用いて太鼓に塗り、大衆の中に於いて、之を撃ちて声を発(いだ)さしむるが如し。聞かんと欲するに心無しと雖も、之を聞けば皆死す。唯一人不横死の者を除く。是の大乗典大涅槃経も、亦復是の如し。在在処処の諸行の衆中、声を聞く者有れば、有らゆる貪欲(どんよく)・嗔恚(しんに)・愚癡、悉く皆滅尽す。其の中、思念に無心なる有りと雖も、是の大涅槃因縁力の故に、能く煩悩を滅して、而して結自ら滅す。犯四重禁及び五無間も、是の経を聞き已れば、亦無上菩提の因縁を作り、漸く煩悩を断ず。不横死の一闡提の輩を除く」

 

 

涅槃経

○謗法を見て見ぬふりをするのは仏法中怨

 涅槃経第三「若し善比丘あって法を壊(やぶ)る者を見て、置いて呵責(かしゃく)し駆遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨(あだ)なり。若し能く駆遣し呵責し挙処せんは是れ我が弟子、真の声聞(しょうもん)なり」文。                

                         (御書 577㌻)

 

 涅槃の疏(章安大師)に云はく「仏法を壊乱するは、仏法の中の怨なり。慈無くして詐り親しむは、是れ彼が怨なり。能く糾治せんは者は、是護法の声聞、真の我が弟子なり。彼が為に悪を除くは、即ち是彼が親なり。能く呵責する者は、是我が弟子。駈遣せざらん者は、仏法中の怨なり」(御書 577㌻)

 

 

仏法聴聞の大事 『大智度論』
 「水中に生熟せる蓮華も、日光を得ずんば開かざるが如し」(大正蔵25-63 取意)

 

 

転重軽受の功徳 『般泥洹経』

 「余の種々の人間の苦報 現世に軽く受くるは 斯れ護法の功徳力に由る故なり」

 

如来の事を行ずること 天台大師 『法華文句』

 今日の行人は能く大悲有って、此の経の中の真如の理を以て衆生の為に説いて利益を得せしむ。亦如来の事を行ずと名づくるなり    (文句会本中 富士学林版 635㌻)

 

病気の原因と克服方法 天台大師 『法華玄義』

 「今我が疾苦は皆過去に由る、今生に福を修すれば、報は将来に在り」(玄義会本下 富士学林版 22㌻)

 

 

誓願を持ってこそ、修行は持続できる 天台大師『摩訶止観』

「誓願無きは、牛の御無くして所趣を知らざるが如し。願来って行を持し、将て所在に至る」(誓願のない修行は、牛飼いのいない牛が行き先を知らずにさまようようなものである。誓願の力によって修行が持続され、目標へと導かれるのである)(止観会本下 富士学林版 195㌻)

 

 

 無疑曰信

 『法華文句』巻十上の文。「疑い無きを信と曰う」と読み下す。仏の教法に対して、いささかも猜疑心のない状態を「信」とするとの意。

 

 

法は是れ聖の師 人は軽く法は重し

 「七宝をもって四聖に奉ずるも一偈を持するに如かず。法は是れ聖の師、能く生じ能く養い能く成じ能く栄うること法に過ぐるは莫し、故に人は軽く法は重きなり」

                               (文句会本下 505)

 「今、発心は法に由るを生と為し、始終に随逐するを養と為し、極果を満ぜしむるを成と為し、能く法界に応ずるを栄と為す。四は同じからずと雖も法を以て本と為す」

                        (妙楽の補釈 文句会本下 505)

 

儒教はこれ、内典の序論なり

「三に、病に応じて薬を授くとは、既に苦集の病を知り、又道滅の薬を識る。若し衆生に出世の機無く、根性薄弱にして深化に堪えずんば、但世の薬を授く。孔丘・姫旦の如き、君臣を制し父子を定む。故に上を敬し下を愛し、世間大いに治る。礼律節度あって尊卑に序有り、此れ戒を扶くるなり。楽は以て心を和し風を移し俗を易(か)う、此れ定を扶くるなり。先王の至徳要道は、此れ慧を扶くるなり。元古混沌として未だ出世に宜しからず。辺表の根性、仏興を感ぜず。我三聖を遣して彼の真丹を化せしむ。礼儀前に開けて、大小乗経は然る後に信ずべし。真丹既に然なり、十方も亦爾なり。故に前に世法を用いて之に授与す云々。

(妙楽大師の補釈)

「先に世の法薬を授くることを明かす中に、如孔丘等とは、姓は孔、名は丘、字は仲尼。周公は、姓は姫、名は旦。を制し楽を作して、五徳は世に行わる。仏教の流化、実に茲に頼る。礼楽前に駆せて真道後に啓く。(大石寺版 摩訶止観会本中 669㌻)

 

◇過去の因を知らんと欲せば…

「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」(心地観経 開目抄より引用 御書572㌻)

 

 

◇鬼神より魔神をおそるべし

 「鬼は但身を病ましめ、身を殺す。魔は則ち観心を破し、法身の慧命を破す」

                          (摩訶止観 会本下321㌻)

 

◇慢心の誡め

 「慢は高山の如く雨水停(とどま)らず」(摩訶止観 会本中141㌻)

 

 

 

◇神力品の結要付嘱について

 「其の枢柄を撮ってえを授与す」(学林版文句会本下四六七㌻)

 

 

◇法華折伏破権門理

 「法華は折伏して権門の理を破す」(法華玄義 会本下502)

 

 

◇病人の看護こそ、福徳の第一となる

 「若(なん)ぢ仏子、一切疾病の人を見ては、常に応(まさ)に供養すること仏の如くにして異ること無かるべし。八福田(仏、聖人、和尚、闍梨、僧、父、母、病人)の中に看病福田はこれ第一の福田なり。若し父母、師僧、弟子の疾病、諸根不具、百種の病、苦悩あらば皆供養して差(い)えしむべし」(梵網経 国訳一切経律部12-339)

 

 

◇法華は一代の総括にして究極 軽慢する者は口中が爛(ただ)れる

 「法華は衆経を総括して而も事は此に極まる。人、此の理を水、是を因縁の事相と謂って軽慢すること止まざれば、舌、口中に爛れん」(法華玄義 国訳一切経経疏部1-90)

 

◇ 慈悲は是れ仏道の根本なり  『大智度論』

「慈悲は是れ仏道の根本なり。所以いかんとなれば、菩薩は衆生が老病死の苦、身苦、心苦、今世後世の苦等の諸苦の悩むところを見て大慈大悲を生じ、是の如きの苦を救って、然る後に発心して、阿耨多羅三藐三菩提を求む。また大慈悲力を以ての故に、無量阿僧祇世の生死の中において心厭没せず、大慈悲力を以ての故に、久しくして涅槃を得べくして而も證を取らず。是を以ての故に、一切諸仏の法の中にて慈悲を大と為す。若し大慈大悲なければ便ち早く涅槃に入る。

 また次に、仏道を得る時、無量甚深の禅定、解脱、諸の三昧を成就し、清浄の楽を生ずるも、棄捨して受けず、聚落城邑の中に入って、種種の譬喩因縁もて説法し、其の身を変現し、無量の音声もて一切を将迎し、諸の衆生の罵詈誹謗を忍び、ないし自ら伎楽をなす、みな是れ大慈大悲の力なり。」(大正蔵25巻256c)

 

 

◇座してみずからの悟りを求めるだけではいけない 『大智度論』

 「仏の智慧のよくする所は、遍く知る者あること無し。大慈大悲の故に、世世に身命を惜しまず、禅定の楽を捨てて、衆生を救護したまふは人みなこれを知る。仏の智慧においては比類して知るべく、了了と知ることあたわず。」(大正蔵25巻257a)

 

◇「慈悲」とは抜苦与楽  『大智度論』

「大慈は一切衆生に楽を与え、大悲は一切衆生の苦を抜く。大慈は喜楽の因縁をもって衆生に与え、大悲は、離苦の因縁をもって衆生に与う」(大正蔵25巻256b)

 

 

 

◇末法は正法を説いても怨嫉多く、度し難し  『法華文句』

如来在世〔在世は現本は現在に作る〕猶多怨嫉とは、四十余年に即ち説くことを得ず。今説かんと欲すと雖も、而も五千は尋で即ち座を退く。仏世尚爾り、何に況んや未来をや。理は化し難きに在るなり。(富士学林版 法華文句会本 中644ページ)

 

 

◇願兼於業

《法華経勧持品第十》

 「薬王、當に知るべし。是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於て、衆生を愍れむが故に悪世に生れて、廣く此の経を演ぶるなり」(法華経320㌻)

 

 上記の経文を妙楽大師が法華文句記において

 「次に薬王より是人自捨清浄に至っては、悲願牽くが故なり。仍是れ衆生なり。未だ通応に有らず。願って業を兼ぬ、具に玄文の眷属の中に説くが如し」

                       (学林版文句記会本 中633㌻)

と解釈したことから出来た言葉。「願兼於業」

 

 

◇悪知識を恐れよ

 「若し人本(もと)悪無けれども悪人に親近せば、後必ず悪人と成って悪名天下に遍し」

                     (摩訶止観輔行伝弘決 学林版 中104)

 

 

◇仏は最高の福田(福徳を生ずる田のことで仏・僧を指す。田畑が作物を実らせるように、仏を恭敬し供養することによって福徳を生ずることが田の如くであることから福田とす)

 「仏は三界に於いて第一の福田なり」(大智度論 大正123㌻)

 

 

◇「如来秘密 神通之力」について 『法華文句記』

「秘密とは、一身即三身なるを名づけて秘と為し、三身即一身なるを名づけて密と為す。又昔説かざる所を名づけて秘と為し、唯仏のみ自ら知りたもうを名づけて密と為す。神通之力とは三身の用なり。神は是れ天然不動の理、即ち法性身なり。通は是れ無壅(むよう)不思議の慧、即ち報身なり。力は是れ幹用自在、即ち応身なり。仏は三世に於て等しく三身有り。諸教の中に於て秘して伝えたまわず。故に一切世間の天人修羅は、今仏は始めて道樹に於て此の三身を得たもうと謂う。故に近に執して以て遠を疑う」

                                  〔学林版 文句会本下278〕

 

◇信が基本    『大智度論』

 「仏法の大海は、信を能入と為し、智を能度と為す」(『大正大蔵経』第25巻 p.63)

 

 

◇世法即仏法

「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せざるが如し」(学林版 玄義会本 下338)

 

「諸の説く所の法は、其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」(法華経法師功徳品第19 法華経494㌻)との文を玄義にて解釈したもの。↑

 

 

◇善知識と悪知識

【止観】第五に善知識とは、是れ大因縁なり。所謂化導して、仏を見ることを得せしむ。阿難の説かく、知識は得道の半因縁なりと。仏の言く、当に爾るべからず、具足して全因縁なりと。[四‐四十四ウ][四之三‐十六ウ]

【弘決】…若し人本〈もと〉悪無けれども悪人に親近せば、後必ず悪人と成って悪名天下に遍し。善知識は此れに反す。是の故に応に親近すべし。…

 

【止観】知識に三種有り。一に外護、二に同行、三に教授なり。[四‐四十四ウ]

                                          (摩訶止観会本中 104ページ) 

 

◇仏菩薩は三の善知識の徳をすべて具える

 【止観】

 今、各三義を具す。一に、仏の威神の覆護するが如きは、即ち是れ外護なり。二に、諸仏・聖人も亦瓔珞を脱して弊垢の衣を著し除糞の器を執って和光利物す、豈同行に非ずや。三に、諸仏・菩薩の一音をもって法を演べ開発し化導して各〈おのおの〉解を得せしむるは、即ち是れ教授なり。此れ即ち三義を具するなり。   (摩訶止観会本中 110ページ)

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info