仏法を聴く人の姿とその功徳
①「自往聴経人」(自(みずか)ら往(ゆ)いて経を聴(き)く人)
「若(も)し人、是(こ)の経の為の故(ゆえ)に、僧坊(そうぼう)に往詣(おうけい)して、若(も)しは座(ざ)し、若しは立ち、須臾(しゆゆ)も聴受(ちようじゆ)せん。是(こ)の功徳に縁(よ)って、身を転(てん)じて生(うま)れん所には、好(よ)き上妙(じようみよう)の象馬(ぞうめ)の車乗(しやじよう)、珍宝(ちんぽう)の輦輿(れんよ)を得(え)、及(およ)び天宮(てんぐう)に乗ぜん」(大石寺版法華経 468ページ)
②「分座令聴経人」(座を分かち、経を聴かしむる人)
「若(も)し復(また)人有って、護法(ごほう)の処(ところ)に於(おい)て座せん。更に人の来(きた)ること有らんに、勧(すす)めて座して聴(き)かしめ、若(も)しは座を分(わか)って座せしめん。是(こ)の人の功徳(くどく)、身を転じて帝釈(たいしやく)の座処(ざしよ)、若しは梵天王(ぼんてんのう)の座処、若(も)しは転輪(てんりん)聖王(じようおう)の所座(しよざ)の処(ところ)を得(え)ん」 (同前書 468ページ)
③「勧他令聴経人」(他を勧(すす)めて経を聴かしむる人)
「経(きよう)有り。法華と名づけたてまつる。共(とも)に往(ゆ)いて聴(き)くべし。即(すなわ)ち其(そ)の教(おしえ)を受けて、乃至(ないし)須臾(しゆゆ)の間も聞かん。是(こ)の人の功徳(くどく)は、身を転じて陀羅尼(だらに)菩薩(ぼさつ)と共に生ずることを得(え)ん」
(同前書 469ページ)
④「具聴修行人」(具(つぶさ)に聴(き)き修行(しゆぎよう)する人)
「一人に勧(すす)めて、往(ゆ)いて法を聴(き)かしむる功徳、此(か)くの如(ごと)し。何(いか)に況(いわ)んや、一心に聴(き)き、説き、読誦(どくじゆ)し、而(しか)も大衆に於(おい)て、人の為に分別(ふんべつ)し、説の如(ごと)く修行(しゆぎよう)せんをや」
(同前書 470ページ)