2019年6月18日(火) 朝日新聞 文化・文芸面より
「男性に生まれ変わって成仏」「夫・子に従うべき」…
仏典の女性差別 どうする
#⃣MeToo運動や大学入試における女性差別の表面化を機に、ジェンダー平等の意識が改めて高まるなか、仏教界でも差別との向き合い方が問われている。受け継がれてき経典には、現代の目で見ると差別的な記述がある。教えをどう捉え、現代社会とどう折り合いをつけていくのか。各地の住職らによる模索も始まっている。
「現代の目では不適切」 研究者ら指摘
真宗大谷派の本山・東本願寺(京都市)が昨年12月~今年2月に開いた企画展「経典の中で語られた差別」で、世界人権問題研究センター(同市)の嘱託研究員、源淳子さん(71)が準備した女性差別に関するパネルが、同派の意向で展示されないことになった。
外されたパネルは、女性は修行しても仏になれないとする「女人五障」、女性は親、夫、子に従うべきだとする「三従」の教えのほか、女性は男性に生まれ変わって成仏できる「変成男子」思想を紹介するもので、現代の目線で見ると差別的な内容だ。古代インド社会の女性差別感が仏教に流入したものという。
源さんは「仏教の名の下による思考停止ではないか」として、公開質問状を出して外された理由をただした。5月下旬に開かれたシンポジウムで示された宗務総長名の回答は「(経典などは)著された時代社会の状況が色濃く反映されており、現代を生きる私たちにとっては受け止め難い表現がある」「正式な見解を見いだせるように、継続した研究を進める」などとした。源さんは「どう取り組むのか注視したい」と話した。
経典は仏教の開祖・釈迦が説いた教えを、弟子らが「私はこう聞きました」と解説したものだ。「実際は、はるか後世に成立したものも多く、矛盾がいっぱい。読み飛ばされてきたものも無数にあり、経典のどこに関心を寄せるかは、時代で異なる」と京都先端科学大の平(たいら)雅行特任教授(古代中世仏教史)はいう。
平さんによると、平安時代に貴族社会が男性中心となるのに呼応し、「五障三従」が浸透し始める。その過程で、「男に生まれ変わって救われる」といった、今なら差別的にとれる「救済論」を様々な宗派が流布したという。その後、民衆にも家父長制が形成され、女人罪業観が広がったとみる。
平さんは、仏教は本来柔軟なものだという。「当時は思想的に価値観があったことでも、今は誤解を招く。教団が、この時代はこうだった、と説明していくことは難しくない。伝統は変わることで守れる」
女性差別に関する教学研究が不十分との指摘もある。3月に出版された『現代日本の仏教と女性』(法蔵館)の編者、碧海(おおみ)寿広・武蔵野大准教授(宗教学)は「研究者は男性が多数は。反戦など大テーマには積極的だが、男女差別といった足元の問題にも目を向けるべきだ」と話す。同時に、全国に点在する寺院の役割に期待する。「文化を伝えるセンターのような存在。僧侶の意識改革と理論的裏付けがそろえば、仏教こそ女性差別の是正ができる」
「聞いた人 傷つくお経は…」模索
各寺院では模索が続く。兵庫県丹波篠山市の真宗大谷派、宗玄寺の酒井勝彦住職(75)は、葬儀の時にお経に記された「変成男子」を唱えないと決めている。法話では、三従の意味を門徒に問う。「一般社会では取っ払おうとしているのに、仏教に残っている。おかしいと思いませんか」と投げかける。「本山に何とかしてもらおうと待っているのでは当事者意識がない。仏教が社会から取り残されないよう、みんなに声を上げてほしい」
浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)は、1986年に葬儀規範勤式集を改訂し、男女で統一するなどの取り組みを続けてきた。岐阜県北方町の西順寺、三浦まゆみ住職(57)は「(差別的記述を)なかったことには出来ないが、聞いた人が傷つくことは読まなくていいのでは」と話す。
本願寺派の仏教婦人会総連盟は66年に制定した綱領を昨年改定し、「み法の母」「念仏にかおる家庭をきずき 仏の子どもを育てます」などの言葉を削った。「既婚女性(家庭婦人)を対象とした団体と受け止められる可能性があった」「組織拡充、次世代の育成を考えたとき、現代の社会になじみにくくなってきた」として、検討委員会を立ち上げて協議してきた。
真宗大谷派では2008年、住職の妻の呼び名だった「坊守(ぼうもり)」を、女性住職の夫にも適用。男性中心だった寺院運営に男女共同参画の流れが広がっている。
(中塚久美子)
【社会学者で牧師の堀江有里さんの話】
宗教はもともと、一般社会より強い形で男らしさ女らしさを規定する。その中で性差別を問い続ける人は、信仰がおかしい、祈りが足りてないと言われて孤立する。しかし、宗教は社会の構成員がつくり、社会の縮図でもある。時代とともに男女平等の動きに合わせざるを得ない。冠婚葬祭や地域行事の中で、無意識に性差別ととらえられる宗教的規範に沿っていることがある。それにまず気づき、関心を持ち、丁寧に対話していくことが必要だ。
※上記は朝日新聞の記事を、そのまま転載したものです。
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〈この記事に対する、妙通寺住職の感想〉
ホンモノの信仰は、どんなに時代が変っても、けっして揺らぐことのない、真理を貫く「教え」という“芯”を持っています。
他宗派の僧侶の中には、自宗の教えの欠点や矛盾に気づき、「(自分は)唱えないと決めている」「聞いた人が傷つくようなことは読まなくていいのでは」と、「その場しのぎ」に汲々としているようです。しかし「矛盾が生ずるのは、自分の宗派の教えが未完成のものであり、真実ではないからだ」との事実に、どうして向き合おうとしないのでしょうか?。
「お寺の住職さん」と呼ばれる人は大概、善意の方だと思います。そうした善意の方こそ、「一切衆生皆成仏道」の教えである法華経に帰依し、自身が住職を務める寺院を「日蓮正宗」に改宗すること。それが、根本的に問題を解決する唯一の道であることに一刻も早く気づき、勇気ある行動をとっていただきたいと切望します。
ちなみに、「女性は不浄だから成仏できない」と蔑視しても、その“不浄”とされる女性から、どんな男性も生まれてくるのです。つまり、「女性は、そのままでは成仏できない」と説く教え(経典)では、実のところ、男性をも根本的に救うことはできないと言えます。
日蓮大聖人の言葉
此の経(法華経)より外はすべて成仏の期(ご)有るべからず候上、殊更(ことさら)女人成仏の事は此の経より外は更にゆるされず、結句爾前の経にてはをびたゞしく嫌はれたり。されば華厳経に云はく「女人は地獄の使ひなり、能く仏の種子を断ず、外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」云々。銀色女経に云はく「三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも、法界の諸の女人は永く成仏の期無し」云々。或は又女人には五障三従の罪深しと申す。其れは内典には五障を明かし、外典には三従を教へたり。
其の三従とは、少(おさな)くしては父母に従ひ、盛んにしては夫に従ひ、老いては子に従ふ。一期(いちご)身を心に任せず。されば栄啓期が三楽を歌ひし中にも、女人と生まれざるを以て一楽とす。天台大師云はく「他経には但菩薩に記して二乗に記せず、但男に記して女に記せず」とて、全く余経には女人の授記これなしと釈せり。(女人成仏抄 御書345㌻)