法華経・天台大師の言葉を傍証として
仏像ではなく法華経を本尊として祀るべし
法華経法師品
「此の経巻に於て、敬い視ること仏の如くにして、種種に華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、繒蓋、憧幡、衣服、伎楽を供養し、乃至合掌恭敬せん」(大石寺版法華経319)
天台大師の『法華三昧懺儀』 日達上人のご説法から
天台大師の法華三昧懺儀という本に、「行者始めて道場に入り、道場を荘厳するの法をあかさば、道場の中に好き高座をしき、法華経一部を安置し、又、未だ形像舎利並びに余の経典を安ずる事をもちいず、唯法華経をおき、幡蓋種々供養の具を安施す」とあります(中略)「ただ法華経をおいて、そこを幡蓋をもって立派に飾って供養しなさい」という意味でございます (日達上人全集1-1-465)
末法の法華経=日蓮大聖人が認(したた)められた南無妙法蓮華経の大曼荼羅御本尊のこと
◇「本尊とは勝れたるを用ふべし」(本尊問答抄 御書1275)
◇「一念三千の法門をふりすゝぎたてたるは大曼荼羅なり」(草木成仏口決 御書523)
◇「法華経を諸仏出世の一大事と説かれ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり」(三大秘法稟承事 御書1595)
◇「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし」(上野殿御返事 御書1219)