先祖への最高の孝養 ~塔婆供養・追善供養~
観妙院日慈上人ご指導より
◇波羅蜜多(パーラミッタ=インドの言葉)ということでございますが、これは波羅蜜(はらみつ)ともいい、『彼岸に到る』という意味です。春分、秋分の中日を中心といたしまして、前三日、後三日、前後七日間、昔はお寺へ参詣いたしまして御説法を聞き、そして信心に励んだものです。それが、お寺へ行くとお墓があるからお墓参りをする。それがだんだん慣れてきて、御説法を聞くとか、信心や折伏の話をするんじゃなくて、お墓だけ行くということになっちゃう。それで、御本尊様はどうでも構わない。納骨堂だけお参りしていけばいいんだと。これが彼岸だ、お盆だというふうになれば、これはもう謗法です。
◇御本尊様のおかげで我々は生き、御本尊様のおかげで先祖も成仏する。御本尊様のおかげで子孫も栄えていく。その御本尊を忘れてですね、凡夫の自分たちが、凡夫の先祖だけを拝んだって、どうすることもできません。あくまで御本尊様の功徳をいただかなければいけません。
◇なにも、凡夫と凡夫とで、ことが済むのであれば、お寺もいらなければ、なにもいりません。「やあ、(お墓に埋葬されている)おじいさん、こんにちは」と。それで済んでしまう。しかし、そうではない。やはり仏法というものを持って、成仏を願わなければならない
◇お塔婆(とうば)には、ご存じのとおり妙法蓮華経と書く。次に「為「と書く。この「為」一字に気をつけていただきたい。お塔婆は、無くなった方の霊ではない。無くなった方の魂でもない。その親なら親の為に、何々信士、百箇日忌なら百箇日忌、三回忌なら三回忌の追善の為に、南無妙法蓮華経の宝塔(ほうとう)を建立(こんりゅう)するのです。南無妙法蓮華経といえば御本尊の南無妙法蓮華経、成仏の南無妙法蓮華経、これを、その親の為に、あるいは亡き子の為に、宝塔を建立して供養の志をあらわすのです。塔婆が親だ、塔婆が先祖だというわけではありません。位牌(いはい)もまた、先祖でも親でもありません。このようなことはご存じの方が大半ですから、くどくは申しません。要は御本尊様に功徳を供えて、回(めぐ)り向けるのが、いわゆる追善(ついぜん)であり回向(えこう)ですね
◇回向(えこう)の回とは、めぐらす。回向の向は、むける。自分がした大聖人様への御供養が回転して、親を供養することになる。これが親の追善のため、幸せのためになる。自分の大善根となる。こういうふうになるわけですね。ですから、回向の根本は御本尊様に供養することです。大聖人様に供養するんですね。それが父母に回向される。精霊(しょうりょう)に回向される。なにも凡夫の自分が何かあげた(お墓に酒やお菓子などの供え物をした)からったって、それで(先祖に)功徳がめぐってくるわけじゃない。大聖人に供える。父の追善のため、母の菩提のためとして、まず御本尊様に供養を供える。これが回向になるんですね。この御本尊様ということを忘れるとダメなんです。御本尊様に供養する功徳は広大無辺である。ひとつ今後とも、皆さんは信心をしっかりして、親孝行の人になりなさい。そして親孝行の子供を育てなさい。これが信者の一番大事なことなんです
※( )内は編者が、文章の意味がとりやすいように追加した語句であり、原本にはありません。