第二祖 日興上人ご指南
◇日興跡条々事(新編御書1883ページ)
一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。
【解説】
一、私・日興が、日蓮大聖人より一身に宛てて賜った弘安二年の本門戒壇の大御本尊は、日興亡き後には日目に之を授け、相伝します。将来、広宣流布が成就して大石寺を「本門寺」と改称した暁には、その本門寺の本堂としての本門戒壇に、この大御本尊を御安置申し上げなさい。
◇日興跡条々事(新編御書1883ページ)
一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。
【解説】
一、大石寺にある御堂(みどう)や日蓮大聖人の墓所などについては、日興の後継者である日目がよく管理し、修理を加えたり、丑寅勤行を行なって広布を御祈念しながら、広宣流布達成の時まで大石寺を守っていきなさい。
※この御文の深義として、「御堂」とは大石寺に伝わる大聖人ご公認の「最初仏」を、「墓所」とは日興上人が身延を離山し富士に移られる際に、身延山にあった日蓮大聖人の御墓所から取り出して富士に持参された日蓮大聖人の御灰骨(遺骨)を指し示すものとされます。この二つの御霊宝は現在、大石寺奉安堂に本門戒壇の大御本尊とともに厳護され、春秋二大法要時、大御本尊とともに御開扉される習わしになっています。
◇日興遺誡置文(新編御書1884ページ)
一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨てヽ随力弘通すべき事
【解説】
いまだ広宣流布が達成されるまでは、身命を捨てる覚悟をもって折伏に励みなさい。
◇日興遺誡置文(新編御書1885ページ)
一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事
【解説】
あらゆる人を任用したり導く権利・使命をもった御法主であっても、もし任用しようとする人間や、導こうとする衆生が仏法に相違して自分勝手な教義を唱えるような事があれば、法主たる者は、そういった謗法の者を、けっして用いてはなりません。
(御法主の権利・権能を示した条項)
◇日興遺誡置文(新編御書1885ページ)
一、衆義たりと雖も、仏法に相違あらば貫首之を墔くべき事。
【解説】
たとえ、みんなの意見、大多数の意見であったとしても、時の御法主が「日蓮大聖人の仏法に背いている」と判断したことに関しては、法主は、そうした意見はすべて排除しなければなりません。 (御法主の権利・権能を示した条項)
※たとえ、創価学会数百万人の意見であっても、たった一人の御法主が「謗法である」と判断した場合には、創価学会員の意見はすべて排除するのが正しい、ということです。
◇佐渡国法華講衆御返事(歴代法主全書1-182)
この法門は師弟子をただして仏になり候。師弟子だに違い候へば、同じ法華を持ちまいらせて候へども、無間地獄に堕ち候也。…案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、誰は聖人の直の御弟子と申す輩(やから)多く候。これらの人は、謗法にて候也。
※ 読みやすいように、原文では平仮名を一部漢字に変換しています。
【解説】
日蓮大聖人の信心は、師匠と弟子との正しい筋目を明確にしてこそ、成仏が叶うとされるのです。もしも師匠と弟子の筋目を違えるようなことがあれば、たとえその人が法華経を持っていたとしても、結果として地獄に堕ちることになります … かねて心配していたように、日蓮大聖人が入滅されたのち、末の弟子の中には「自分は日蓮大聖人の直結の弟子である」などと勝手に名乗る者が多く出るようになりました。しかし、これらの人々は、正しい師匠と弟子との筋目を違えているのですから、大謗法の者といえます。
(御法主上人を排除し、日蓮大聖人への直結の信心を主張する者はすべて謗法であり、そうした増上慢な人は、たとえ題目を唱えていても成仏できないと日興上人は忠告されているのです)
◇大聖人の正意 御本尊は南無妙法蓮華経の大曼荼羅なり
「聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり」(御書 1871㌻)