モルモン教の正式名称は「末日聖徒イエス・キリスト教会」です。
『聖書』以外に『モルモン経(けい)』という教義書を用いることから一般にはモルモン教とよばれています。
モルモン教は、既成のキリスト教団からは異端視ていますが、その理由として
・かつて一夫多妻制を奨励していた
・コーヒーなどの嗜好品は、一切口にしてはならないとされている
・労働収入の十分の一を教会に納めると決められている
などのモルモン教の教義が挙げられます。
モルモン教徒は日本にも多く、巷で二人組の白人男性に、「あなたは神を信じますか?」と声をかけられたら、それはモルモン教の宣教師と思って、まず間違いはありません。
モルモン教の創始者であるジョセフ・スミスは、21歳だった1827年、天使に導かれ、クモラの丘(ニューヨーク州)でエジプト文字らしきもので書かれた金版の本を掘り出したといいます。この金版の書を英文に翻訳した(エジプト文字らしきもので書かれていたので…)ものが『モルモン経(けい)』と呼ばれる教義書です。その内容は、アメリカ大陸における先住民の歴史が書れているそうです(ジョセフが発見したという金版の書は現存していません)。
ジョセフの目的は、この『モルモン経』にある先住民の歴史を伝えることと、「シオン」と呼ばれるモルモン教徒にとってのユートピアを築くことにありました。
これらの目的を達成するため、ジョセフとその信者はアメリカ中を布教して歩きましたが、行く先々で住民たちの反感を買い、ついにジョセフはイリノイ州で反対者の銃弾に倒れました。
ジョセフの跡を継いだブリガム・ヤングは、ユタ州ソルトレーク盆地に信者たちと移り住み、現在のソルトレーク市の基盤を築いたとされます。
教団設立当初は、厳格な教義が売りだったモルモン教でしたが、世間の潮流には抗えず、世の中の人々に、もっと受け入れやすくするため、徐々に教義の変更を余儀なくされました。
なかでも大きく二つの教義変更があります。
第一は、一夫多妻制の変更です。1889年、当時のモルモン教の大管長(代表者)は、神から「一夫多妻制を中止せよ」と啓示を受けたとされています。しかしこれは、ユタ州がアメリカ合衆国の一州として正式な承認を受けるにあたり、モルモン教の一夫多妻制が大きな障害となったため、仕方なく「一夫多妻制」の改変を余儀なくされたと言われているのです。
もう一つの大きな教義の変更は、「神権」とよばれる特権を有する者の拡大です。モルモン教では、「神権」を有する人が、祭司や教師などの聖職につけるとされていますが、当初モルモン教団では、女性と黒人には神権を認めていませんでした。
なかでも黒人に神権を認めない理由として彼らは、「黒人の祖先カインは、弟のアベルを殺した罪で神の怒りに触れ、皮膚が黒くなった」というモルモン教の差別的教義を根拠としています。
まさにこれは人種差別を地で行く悪しき教義・風習の一旦を垣間見ることができるというものです。
1978年、当時の大管長(モルモン教の代表者)が、神の啓示により、黒人にも神権を与えると発表して変更されました。これにより黒人への差別は解消されましたが、依然、女性の神権は現在まで認められていません。
教団の正式名称に冠される「末日」との文字が示すように、モルモン教も、終末思想を掲げ、人々の恐怖心をあおる教団のひとつといえます。
終末思想とは、この世では、ほどなくすると、神と悪魔の最終決戦(ハルマゲドン)が起こり、モルモン教を信仰している人は救われてユートピアの住人となれるが、モルモン教を信仰していない人は悪魔と共に滅びる、という独善的な思想をいいます。
このようなモルモン教の狭小的な思想に対して、
仏法にはそもそも「悪人は滅びればよい」などという偏見的な思想は微塵も説かれてはいません。
とりわけ『百六箇抄』に
「下種の今此三界の主の本迹 久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり」(御書1696)
と御示しのごとく、患難多き末法の世に出現あそばされた日蓮大聖人は、主師親三徳兼備の御本仏として三界を領有し、順逆二縁にわたって、あらゆる衆生を南無妙法蓮華経の信仰によって救護すると仰せあそばされているのです。
一貫性のない教義もさることながら、悪人の救済を放棄し、「悪人は地獄へ堕ちればよい」と突き放すモルモン教に、末法濁悪の世で苦悩にあえぐ人々を、生命の奥底から救っていく力は、残念ながら、まったくないものといえましょう。
※当該文書は、大白法(H26.10.10号)に掲載された文章を、一部読みやすいように筆者が手を加えたものです。