総本山第65世日淳上人お言葉
創価学会の基本思想である「宇宙に遍満する真理の法である南無妙法蓮華経を信ずることが信心であって、御本尊はそれを悟るきっかけ、手段、道具にすぎない。よって、御本尊は誰が書いたかどうかが大事なのではなく、それを糧として妙法を悟ることが肝要である」との法偏重の邪義を破折する
「題目を主として御本尊をゆるがせにする者が多いのであります。(中略)元来、かような考へは、南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまして、宇宙に遍満(へんまん)する妙法の理が題目である、とするからであります。これは大変な誤りで、南無妙法蓮華経は仏身であります。すなわち法報応三身具足の当体であらせられ、報身中に具(ぐ)し給ふのであります。妙法の理は天地の間にありましても、それは理性であります。実際には、仏の御智慧のうちにのみ厳然として具(そな)はり給ふのであります。」(『日淳上人全集』P982)
◇一日遅れれば一日の不幸
此秋(このとき)に於て吾人は声をしぼって日蓮大聖人の立正安国の大義を絶叫しなければならぬ。為政者も民衆も老いも若きも来って聖祖の立正安国論に眼を曝(さら)さなければならない。若し此事一日早ければ一日の幸(さいわい)があり、一日遅れれば一日の不幸である。(日淳上人全集29㌻)
◇創価学会で主張する「己心本尊義」は大いなる間違い
世間では、南無妙法蓮華経は一切衆生が具へてをるから、我が身が本尊であるといふことを申すものがありますが、此れも甚しい脱線であります。南無妙法蓮華経は報身(ほうしん)に於て三身が具はってをらなくてはならぬのでありまして、此れ報身中論三身の法門のある所以(ゆえん)であります。末法に於ては、唯大聖人御一人が事の妙法の御当体にましますのであります。一切の衆生はその妙法を御本尊と崇めて、信心修行すべきであります。此れは理性であって用(ゆう)がなく、因果の上の妙法にして用があるからであります。
(日淳上人全集上 471㌻)
◇ただ題目をとなれば良いということではない
そ(謗法)の過因はお題目が根本であるといふところにあります。返へす返すも境よく智を発し智また行を導くと仰せられた御言葉を銘記すべきであります。申すまでもなく大聖人が此の世に御出ましなされたのは末法のため最も尊い最も正しい御本尊を建立遊ばされて我等凡夫にお授けしたさることであります。それは弘安二年の戒壇の御本尊で本宗総本山大石寺に蔵し奉るのであります。此の御本尊に於て初めて題目の信行、戒壇の受持が具はるのであります。(日淳上人全集 987㌻)