総本山第59世 日亨上人ご指南

 

「お題目の唱え方は、身に湯だ怠りなきよう、意に余念雑念なきようにありたい。口より出す声は早口であったり粘口であったりしてはならぬ。落ち着いて確固と尻強に中音に唱えねばならぬ。唱える数には定まりがない。多くとも少なくとも其の人の都合であるが、身体の方は両の指掌を合わせて指先が鼻の下に向くように、眼は確かに御本尊に向かうように、其して身体中が歓喜で踊躍するようにありたい。御本尊と吾等と一体不二に成るまで励まねばならぬ」(日蓮正宗綱要 134ページ)

 

◇御本尊の大事  ~『富士一跡門徒存知の事』のご講義より(日淳上人筆録)

 

 一、上の如く一同(編者註 身延派日蓮宗の開祖である五老僧たち)に此本尊を疎(おろそ)かにするから、或は此本尊は曼荼羅(まんだら)であるからといって死人を覆(おおい)て葬(ほうむ)る者もあり、或は又売却するものもある。かように軽賤(きょうせん)するから、聖人御自筆の御本尊は大分失はれて了(しま)った。

 日興が云く、此の御筆の御本尊は一閻浮提(いちえんぶだい)に未だ流布(るふ)しない正像末(編者註 正法時代・像法時代・末法時代)の間未だ弘通しない本尊である。それ故、日興門徒所持のものは無闇に子孫に譲り弟子等に付嘱してはならぬ。同一所に安置し奉り六人(編者註 本来は日興上人を中心とした六老僧が心を合わせて)一同に守護し奉るべきである。是れは偏(ひとえ)に広宣流布の時、本化国王の御尋ねある迄深く敬重(けいちょう)し奉るべし。(日淳上人全集 1539㌻)

 

 一、日興が弟子分の本尊に於ては一々皆其の名を書き付け奉ることは誠に凡筆をもって直ちに聖筆を黷(けが)すもので恐懼(きょうく)の次第であるが、しかし、親には強盛の信心によって本尊を賜っても子孫に至って此れを捨て、或は師匠は聖人へ常随給仕の功があるによって授けられたとしても、その弟子になると此れを捨てたりする。此れがために或は交易(編者註 売り払う)したり盗まれたりして紛失する此の種のものその数が多い。故に授与された主の名を本尊に書き付けてをくが、此は又後代の高名の為でもある。(日淳上人全集 1542㌻)

 

 御本尊に於て五人(編者註 五老僧のことで身延派の開祖らを指す)一同区々なるに対して日興上人が「唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字をもって本尊となすべし、即ち御自筆の本尊是なり」との御教示は、簡単ではあるが、その要を尽して余すところがない。此の御言こそ日蓮が一門の信仰の根本を指南するもので、本尊の核心も茲(ここ)にある。

 第二条第三条は、第一条の上から深い御用意の御思召(おぼしめし)を御示しなされたもので、特に第二条の御誡(いさ)めは本宗(編者註 日蓮正宗)に於ては今日に至る迄、伝統的精神の中枢(ちゅうすう)となって固く守られてをるところである。

 第三条によって興尊(編者註 日興上人)は弟子分の御本尊に一々に御加筆なされ、本門寺重宝の文字の御書付けをなさったことが解るが、此の御加筆御本尊のうち目尊(編者註 日目上人)の分は現在、伊勢の桑名の寿量寺にあり、華師(編者註 日華師)の分は京都の本能寺にあるが、後世種々の事情をもって分散することがあったが、此の時の御本尊は此御文書によって直ぐに明かになるという訳である。

 第四条中、日春といふ人は、岡宮光長寺の開山で日法師の先輩に当る人であって、模刻の御本尊が郡内に現存する。此条に「形木に彫み」といふことがあるが、御真筆を形木に彫むといふは恐れあることゝいはなければならない。尊師(編者註 日尊師)も一代の間本尊を認(したた)めず、御形木をもって信徒に授与したといふ事であるから、御形木は最初から仮御本尊に用ひられたのは明らかであるが、御真筆をもって此れにあてるといふのは勿体ないことであるからである。末行の本尊人数云々は、弟子分帳等を指されるものと思ふが、興尊(編者註 日興上人)の御本尊に対する実に到れり尽せりで此の御思召は以て我々が常に心に鐫(かか)けなければならぬところである。    (日淳上人全集 1543㌻)

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

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