妙通寺支部第1地区の矢神徳子です。
私は2歳の誕生日に両親と兄と一家そろって日蓮正宗に入信しました。
父は一生懸命、創価学会員として活動しながら、お寺を大切にしていました。
私が小学生のとき、母に「お寺と創価学会の関係」について聞きました。
すると母は「創価学会は、日蓮正宗の信徒団体のひとつで、昔から日蓮正宗にある信徒団体である法華講とは別の組織である」と教えてもらいました。
また、父には「どうしてお父さんは、そんなによくお寺へ行くの?」と聞いたところ、
父は「創価学会は、日蓮大聖人の教えを弘める団体だが、お寺のご住職や、昔からの法華講の方々がお寺を何百年と護ってきたから、創価学会が誕生できたんだ。だから、お寺も大切にしなければいけないんだ」と教えてくれました。
平成2年の末、創価学会と日蓮正宗との間に信仰的な問題が発生したとき、父は迷わず、日蓮正宗側につきました。
その頃私は、結婚をしていて名古屋市東区に在住しており、学会活動を行なっていました。B担として聖教新聞も配っていました。会合に行くと池田名誉会長の同時中継を見ましたが、名誉会長の話は「あ~あ~、う~う~」としか私には聞こえず、何を言っているのか、さっぱり解りません。さらに学会組織の在り方にも少し疑問を持つようになりました。
それでも、たまに中村区の実家に帰ると、日蓮正宗と創価学会の件で、父と大げんかしました。
しかしその後も、疑問がどんどんと膨らみ、「これって、絶対に間違っている」と思うことが段々と増えていきました。
そんななか、私は離婚をし、実家に戻りました。それと同時に創価学会を脱会しました。しかし脱会しても、すぐに妙通寺へ行くこともなく、フラフラしていました。
離婚して7年目に父が亡くなり、その時初めて細井ご住職にお目にかかり、父の逝去の連絡から、ご住職の迅速かつ丁寧な対応に接しました。
且つ、また父が、本当にお寺を大切にしていたということを実感しました。
その後、父の供養のために妙通寺へ行くようになりましたが、行事に参加するまでには至りませんでした。
1年半後、母も亡くなり、その頃ちょうど職場も異動になったりして、私は精神的に参っていました。そんなとき、お寺で「日蓮大聖人ご報恩お講」があることを知り、ご住職様に「私も参加させていただいて良いでしょうか?」とお尋ねしたところ、「ぜひ来てください」と言っていただき参加させていただきました。また、支部総登山にも参加でき、本当に久しぶりに本門戒壇の大御本尊様にお目通りさせていただくこともできました。
平成25年3月からは、支部登山はもちろんのこと、毎月、添書登山をさせていただいております。当初は、総本山への旅費を工面するのが大変でした。しかし、「絶対に登山する!」と心に決め、御本尊様に「毎月登山します。しかし旅費がありません。何とかお願いいたします」とご祈念し続けたところ、自然と旅費が出せるようになり、毎月登山できるようになりました。今では、毎月の登山、お寺のお講はもちろん、地方部総会など大きな行事があるときは、早めに会社にお願いをして、きちんと休みをいただいて参加するようにしています。
今年の4月、妙通寺での「5時間唱題会」に初めて参加しました。ご住職以下、順番で導師を務めていくなかで、私も30分間の導師を務めさせて頂きました。
6月の5時間唱題会では、45分間も導師を務めさせて頂きました。マイクを使っての導師は緊張し、大変でしたが、貴重な体験となりました。ありがとうございます。
最近、お寺の行事に参加するのが楽しくて仕方がありません。
ご住職のお話を伺い、明日への活力を頂き、法華講同志の皆さまから元気をいただいています。皆さんも、少しでもお時間のある方は、是非、30分でもお寺の唱題会や行事に参加されると良いと思います。
これから私は、
○毎月の登山の継続 ○毎年の夏期講習会への参加 ○父が若い時に折伏した叔母たち(現在、いまだ創価学会員)の折伏
を決意します。とくに折伏については、これまで、折伏らしい折伏をしたことがありません。よって、実際に行動しようとすると、少し怖いです。なので御本尊様に「叔母たちをなんとか折伏できるよう、どうぞ力をお貸しください」とお願いしています。
これからも、ご住職様にご指導をいただきながら、頑張って参ります。
以 上